第四章 情報エントロピーの力
出力パターンと効率
2006/08/24  

一口に「出力が不確定」といっても、その出力のパターンには様々なものが考えられる。 様々なパターンの中で、最も大きなエネルギーが取り出せるのはどのような場合だろうか。 また、不確定でありさえすればいかなるパターンも物理的にあり得るのだろうか。 それとも物理的に禁止されているパターンもあるのだろうか。 以下に考察してみよう。

考え得る出力パターンのうち、最も基本的なものは出力パターン数が2パターン=1bitとなる場合、即ち 「エネルギーが次に取り出されるまでの待ち時間が1単位時間後か、2単位時間後かのいずれかわからない」 場合である。 これは前節の情報力の上限を考える際にも取り上げた。 エネルギーがN単位時間のうちに1回だけ出力されるといった状況を考えると、Nが小さい方が一定時間内により大きなエネルギーを得ることができる。 つまり、N=2の場合が最も効率が良い。 このことは次の考察から示される。

時間xエネルギーの大きさに最小単位が存在することから、出力パターンは離散的なものにならざるを得ない。 装置(対象となる系)が1サイクルに要する時間(のうちの最も長いもの)がN単位時間だったとする。 N=1の場合、出力は決定的になるので、出力が不確定となる最小値はN=2の場合である。 まずN単位時間内でいつ出力するかについての確率が等しいものと仮定すると、E <= kT ln N より1単位時間あたりに得られるエネルギーの期待値は <E> = kT ln N / ((N+1)/2) となる。 (1サイクルに要する時間は最短で1、最長でNだから、その平均をとっている) ある一定の時間 t 内に得られるエネルギーは t/N * <E> = kT ln N / (N * ((N+1)/2) だから、およそ ln N / (N^2) に比例する。 この式より、Nが小さいほど得られるエネルギーが大きくなることが確認できる。

具体的に、8単位時間という期間内で以下2つの場合を比較してみよう。

A: 最も単純な「1〜2時間単位のいずれかわからない」場合
B: ただ1回の出力が「1〜8時間単位のいずれかわからない」場合
2者を比較すると、A:は55パターン(8bit=256パターンから2つ以上0が連続する場合を除いた数)、B:は8パターンとなる。 A:の最も単純な場合は出力に多くの場合の数「不確定要素」を持ち出すことができるので、それゆえ出力自体を大きくすることができるのである。

上ではN単位時間のうちいつエネルギーが出力されるのか、その確率が等しいものとしていたが、確率が等しくない場合はどうなるだろうか。 その場合に得られるエネルギーは確率が等しい場合よりも小さくなる。 なぜなら、E <= kT Σ[i=1〜N] Pi ln 1/Pi なので、E が最大となるのは全ての確率Pが等しいときだからである。

エネルギーの出力が一定時間内に1回だけという条件を外した、一般的な場合はどうなるだろうか。 出力パターン数が多ければ多いほど得られるエネルギーも多くなるのだから、時間についても、エネルギーについても、できるだけ小さい単位で出力した方が効率は上がるだろう。 ここで、時間xエネルギーのブロックの大きさを考えると、
  1: 温度Tの環境下で熱揺らぎを上回るエネルギーの大きさは kT ln 2 以上でなければならず、
  2: エネルギーx時間 の大きさは h を越えなければならないので、
エネルギー=kT ln 2、時間= h / (kT ln 2) が最小ということになる。 この最小単位ブロックをできるだけパターン数が多くなるように、何の制限も無く自由に配置できるのが最も効率が高いということになる。

ここで問題となるのは、出力パターンは物理的に何の制約も無く無制限に配置できるのか、という点であろう。 まず前提として、得られるエネルギーの大きさとパターン数の制限関係がある。

E <= kT ln N
出力パターンはこの範囲内に配置する必要がある。 例えばN=8パターンといった状況を考えると E <= 3 kT ln 2 である。 この場合、最大3個の単位ブロックを配置して8パターンを作り出すことが要請となる。 2進数を思い浮かべれば、3回のON-OFFの組み合わせによって8パターンが表現できることに気付く。 1秒後にエネルギー出力あり、なしの2つの状態、2秒後にもエネルギー出力あり、なしの2つの状態、3秒後もまたエネルギー出力あり、なしの2つの状態。 以上を合わせれば3秒間で8パターン、最大で3単位ブロックのエネルギー出力となるので、確かに当初の要請は満たしている。 しかし、このような2進数に対応したパターンを実際に出力することはできない。 なぜならこの2進数パターンには「出力の時間を不確定にする」という考え方が反映されていないからである。 エネルギーを出力する系(悪魔の装置)の内部状態に立ち入って考えると、エネルギーを出力し終えた直後の状態(ON)と、エネルギーを出力しなかった直後の状態(OFF)とでは、何かが異なっているはずだ。 この状態の違いを解消するためには、次回のエネルギー出力時間を不定にする必要がある。 ONの状態であれば1秒待ち、OFFの状態であれば2秒待つ、といった具合に。 こういった不定な長さの待ち時間が入るため、2進数パターンの様に「隙間無くびっしりと」エネルギーを出力することはできないのである。 詳しくは「6節 時間と空間の違い」参照のこと。 以上の2進数パターンの考察から分かるように、エネルギーの大きさとパターン数の関係
E <= kT ln N
は必要条件ではあるが十分条件ではない。 物理的に許されるのは、この式に示される範囲よりも狭いのである。

出力パターンに課される制限を調べるため、もう1つの例を取り上げてみよう。 いまここに、次の様な2つの似て非なる装置があったとする。

装置A:
「エネルギーが次に取り出されるまでの待ち時間が1秒、2秒、3秒のいずれかわからない」
もし開始1秒後にエネルギーが取り出されたとしても、その次の1秒でまたエネルギーが出てくるかもしれない。 あるいは2秒後かもしれないし、3秒後かもしれない。

装置B:
「1秒、2秒、3秒のいずれかわからないが、とにかく3秒に1回だけ、必ずエネルギーが取り出される」
もし開始1秒後にエネルギーが取り出されたなら、次の2秒は確実にエネルギーが出てこない。

2つの装置の違いは一見些細なものに思えるかもしれないが、実のところ両者の間には大きな隔たりがある。 装置Aに物理的な矛盾は無いが、装置Bは物理的に許可されていない。

装置Bの出力について考えると、取り出されるエネルギーは秒単位で見れば不確定かもしれないが、分単位で見れば確定的である。 3秒間に必ず E だけのエネルギーが得られるなら、1分間には 60 / 3 = 20 E だけのエネルギーが確定して得られることになる。 つまりこの場合、時間のスケールの取り方によって「不確定」という性質が打ち消されるわけだ。 もし長時間に渡って集計したエネルギーの大きさが確定値だったならば、最終的に熱運動から確定的なエネルギーが得られたことになってしまう。 これは即ち第二種永久機関となり、不合理である。 一方、装置Aはどうなるか。 こちらの場合、1分間に得られるエネルギーは最大で毎秒1Eずつの 60E、最小で3秒に1Eずつの 20E となる。 得られるエネルギーの大きさは1分間という時間で区切っても確定的にはならない。※ それゆえ、装置Aの方は物理的に存在し得る(可能性がある)のである。

不確定分子モーターとは、出力パターンが不確定な分だけのエネルギーが得られる、というものであった。 ただ、出力パターンが不定でありさえすれば何でも良いという訳ではない。 出力パターンに課される制限とは、分子モーターの「1サイクルに要する時間が不定」ということなのである。 1サイクルの長さが不確定なるが故に、結果として出力パターンが不確定となるわけだ。 それゆえ、実際に取り得る出力パターンは自ずと限られたものとなるのである。


得られるエネルギーを長時間に渡って集計すれば(平均化すれば)ゆらぎは限りなく小さくなるのではないだろうか。 これは本質的な点を突いた問題なので、改めて次節で取り上げよう。
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