第一章 なぜ永久機関は実現不可能なのか
エントロピーとは何か(1) エネルギーの流れの法則
2006/08/16  

過去に傾けられてきた永久機関実現への努力と失敗の歴史から、我々は重要な2つの物理法則を学んだ。

・熱力学第一法則 = エネルギー保存則
  エネルギーの総量は増えも減りもしない。
  何もないところからエネルギーを生み出す装置、第一種永久機関は実現できない。
・熱力学第二法則 = エントロピー増大則
  大局的に見て、エネルギーが自然に流れる向きは一方通行である。
  一度利用したエネルギーを完全に回収して再利用する装置、第二種種永久機関は実現できない。
熱力学という学問は、つまるところ上の2大法則を基に成立していると言って良い。 この2大法則に「証明」は無い。 幾多の実験と失敗から学んだ経験則である。 経験則という一言で片づけると、熱力学は何とも脆弱な基盤の上に成り立っているかのような印象を与えるかもしれない。 しかし、歴史に裏付けられた経験則はいかなる論証よりも重みがある筈だ。 物理学が最後に拠り所とするのは経験の積み重ね、実験事実なのである。

熱力学第一法則は、別名「エネルギー保存則」と言う。
熱力学第二法則は、別名「エントロピー増大則」と呼ばれている。
1つ目の「エネルギー」は馴染み深い概念だろう。 それに比べて2つ目の「エントロピー」は知名度が低い、あるいは聞いたことがあっても正確な意味を知らないことが多いのではなかろうか。 実際、「エントロピー」は学ぶ者にとって難しい概念と思う。 それでいて物理の根幹を成す重要概念であり、奥が深い。 本論の目的である「不確定分子モーター」の理解にもエントロピーは外せない。 そこで、まずはエントロピーについて、できるだけ直感的に把握できるような説明を試みよう。

エントロピーとは、言うなれば
  「エネルギーが自然に流れる向きを表す指標」
である。 この世で起こるあらゆる物理的な変化にはエネルギーが関与している。※ そして、エネルギーの流れる向きは本質的に一方通行である。 であれば、エネルギーの流れから、あらゆる変化の進む方向を推し量ることができるだろう。 この「変化の進む方向」を数値で表したものがエントロピーなのだ。 エネルギーが流れる向きを知る、ということは、この世に起こるあらゆる変化の向きを予測できる、ということだ。 これがいかに大きなインパクトを持つか、なぜ物理学の根幹と言われているか、お分かり頂けることと思う。

エントロピーを理解するためには、エネルギーの流れがどのような「法則」に従うのか考えてみる必要がある。

真っ先に思いつく事例は「水は高きから低きに流れる」であろう。 水であれりんごであれ、あらゆる物体は、より低い、安定した状態に移行しようとする。 ということで、エネルギーの流れについて最初に思いつく法則は次のようなものであろう。 「あらゆる物体は、位置エネルギーが低い状態に移行しようとする。」 この法則はおおむね間違ってはいないのだが、絶対の真実というわけでもない。 位置エネルギーが低いからといって、月はすぐさま地球に落ちてはこないだろう。 りんごが地上に落下するのに、月が落下しない理由は何だろうか。 地面に激突するからだろうか。 ここで、エネルギーは決してなくならない、という法則を思い出そう。 地面に激突したりんごが再びもとの高さまで跳ね上がらないのは、りんごの持っていたエネルギーが衝突時に熱に変わったからだ。 もしエネルギーが熱に変わらなければ、りんごは決して下に落ちたままでいることはない。 月が地球に落ちてこないのは、月の持つエネルギーが摩擦などによって熱に変わるチャンスが無い(極めて少ない)からである。 中途半端な高さにある人工衛星は大気との摩擦によって、やがて地上に落下してしまう。 つまり「物体は自然に落下する」という素朴な常識は
  「エネルギーは最後には熱に変わる」
という法則に従っていたのである。

「エネルギーは最後には熱に変わる」
身の回りのエネルギーを改めて見回すと、この法則はかなり的を得ていることに気付くだろう。 例えば自動車はガソリンを燃焼して走り、ブレーキを踏んで停止する。 このときのエネルギーの流れは大雑把に言ってこうなる。

ガソリン(化学エネルギー)→ 自動車の走行(運動エネルギー)→ ブレーキ(熱エネルギー)

ほぼ全ての家電製品は、電気を最後には熱に変えている。 例えばテレビは
電源(電気エネルギー)→ テレビ(光、音)→
    光 → 物質に吸収(熱エネルギー)
    音 → 広範囲に拡散、あるいは物質に吸収(熱エネルギー)

家電の中で例外的なのは、冷蔵庫、クーラーといった冷やす機械だ。 これらは電気エネルギーを使って、熱とは反対の、冷たい空間を作り出していると思われるかもしれない。 しかし、冷蔵庫もクーラーも、冷却装置とは別の場所に放熱板があって、冷却する以上の熱を放熱板から放出している。 冷却装置とはいわば「熱のポンプ」のようなもので、最終的には放熱が冷却を上回る。 部屋の温度を下げようとして冷蔵庫の扉を開けっ放しにしたら、かえって部屋全体が暑くなってしまうのだ。 (これは放熱板が冷蔵庫の裏、つまり部屋の中にある場合の話。放熱板を部屋の外に出したものがクーラーだ。)

大抵のエネルギーの形態間には、相互に変換の手段がある。 行きがあるならその逆の過程、帰りもある。 いくつか例を挙げてみよう。

・位置エネルギー → 運動エネルギー 坂の上からボールを転がり落とす
・運動エネルギー → 位置エネルギー 転がっているボールがその勢いで坂を上がる
位置エネルギーと運動エネルギーの変換を交互に行っているのが、いわゆる振り子である。
・電気エネルギー → 運動エネルギー モーター
・運動エネルギー → 電気エネルギー 発電機
モーターと発電機は、原理的には同じものだ。 試しにモーターを力づくで回してみると、電気を起こすことができる。
・化学エネルギー → 電気エネルギー 電池(放電)
・電気エネルギー → 化学エネルギー 電池の充電
これが逆の過程だということは容易に分かるだろう。
・電気エネルギー → 音 スピーカー
・音 → 電気エネルギー マイク
スピーカーとマイクも原理的には同じものだ。 スピーカーをマイクに使用することは一応は可能である。 (目的に合っていないのでかなりの無理はあるが。)
・電気エネルギー → 光 半導体発光素子
・光 → 電気エネルギー 太陽電池
これも逆の関係にある。 (真っ先に思いつく電球は太陽電池の逆とは言い難い。 電球に光を当てても発電できないのは、電球の場合、電気が一度熱に転じて光を発するからだ。)

他にも例はたくさんあるだろう。 これらを1つ1つ見てゆけば、どんな形態のエネルギーであっても上手く導けば他の形態に変換できるということがわかるだろう。 ただし、1つだけ例外がある。 「熱エネルギー」だ。 エネルギーは一度熱になってしまうと、そのままでは他の形態に変換することができない。 例えば運動する物体は、摩擦やブレーキによって運動エネルギーを熱に変えることができる。 しかし、一度熱になったエネルギーを再びかき集めてきて、元の運動エネルギーに戻すことはできない。

・運動エネルギー → 熱  これは一方通行!

上に、振り子は位置エネルギーと運動エネルギーをやりとりする過程だと書いた。 しかし現実の振り子は摩擦や空気抵抗によって、エネルギーを少しずつ熱に転じている。 振り子は少しずつ運動エネルギーを失い、全てのエネルギーが熱に転じた時点で停止する。 上のエネルギー変換の例で、損失無しに完全に元に戻るものは現実的にはほとんどない。 どこかに摩擦、損失、抵抗といったものが入り込んできて、エネルギーを少しずつ熱に変えているのである。
逆の過程を経ることによって元の状態に戻れるような過程を「可逆過程」、それに対して逆の過程が無く、一方通行にしか進行しないような過程を「不可逆過程」と言う。 概して、熱以外の形態間のエネルギー変換は可逆過程であり、熱に変わる変化は不可逆過程である。 実際には、超伝導のような特殊な状況を除く大半の物理的変化は不可逆過程であり、可逆過程は理論上の極限でしか成立しない。 我々が日常的に「エネルギーの消費」と言っているのは、不可逆過程を通じてエネルギーが元の状態に戻らなくなることを指している。 エネルギーの利用という点からすれば、できる限り熱に変わる過程を少なくするのが無駄の無い上手な使い方だと言える。

さて、以上から我々は
  「エネルギーは最後には熱に変わる」
という法則を見出した。 この法則はかなりの広範囲に適用できるが、まだ完璧というわけではない。 というのは、改めて世の中を見回してみると「熱に変わる」以外の別の傾向に従う物理的変化も存在するからだ。

まず第一に、我々は蒸気機関のような装置を使って、確かに高熱から運動エネルギーを得ている。 第二に、世の中には結果的に熱を奪う物理的変化も存在する。 水が蒸発する際に熱を奪う、という変化は最も身近な例だろう。 これらの2点から、もう少し「エネルギーの流れの法則」に補足を加える必要がある。

第一の点については、第二種永久機関の所でも触れておいた。 熱から他の形態のエネルギーを取り出すには、必ず温度差が必要となる。 蒸気機関が熱を運動エネルギーに変えているのは、蒸気を過熱する石油や石炭だけでなく、蒸気を冷却する海水や空気があるからだ。 どんなに高温であっても、一様な高温の中から利用可能なエネルギーを取り出すことはできない。 これはちょうど、どんなに標高が高くても平らな平原の中では物体はどこにも転がり落ちないのに似ている。 熱が高温から低温に流れるのは、経験的にも明らかな自明の理であろう。 この、熱が流れる「勢い」があって初めてエネルギーを利用可能な形態として取り出すことができるのである。 以上より、温度差について、もう1つの法則を付け加えることになる。
「熱は高温から低温に向って流れる。 熱から他の形態のエネルギーを取り出すことができるのは、温度差があって、熱に流れが生じているときだけである。」

次に第二の点について考えてみよう。 熱を奪う物理的な変化とはどのようなものか。 例えば、蒸発、結晶の融解、気体の断熱膨張などである。 汗が蒸発するときに体温を奪う。 氷砂糖は口に含むとひんやりする。(なのでこの名が付いたのだと思う。) 高圧のタイヤから抜ける空気は冷たい。 これら「冷える変化」に共通する特徴は、何らかの物質の拡散がともなうことだ。※ 水が空気中に蒸散する。 砂糖が水の中に溶け出す。 圧縮されていた空気が広がる。 実は冷蔵庫やクーラーも、内部では物質の拡散を利用しているのだ。 (中には物質の拡散以外の原理による冷却装置もある。) 冷蔵庫やクーラーの電力は、作業物質を圧縮して回すためのモーターに使われている。 直接冷却を行っているのは、作業物質が拡散する(減圧する)過程なのである。 熱が高温から低温に流れるように、高圧の空気は低圧の空間に自然に流れ出そうとする傾向を持つ。 熱と物質は全く異質のものだが、どちらも平均化する向きに流れを生じるという点では似通っているのである。 以上から「熱に変わる」という法則の他に、もう1つの法則があることがわかる。
「物質は高圧から低圧に拡散する傾向を持つ。 場合によっては、物質の拡散の傾向の方が発熱する傾向(最後には熱に変わる傾向)を上回ることがある。」

さて、ここまでに考えてきた「エネルギーの流れの法則」をまとめると、以下の3項目になる。

1: エネルギーは最後には熱に変わる。
2: 温度差は平均化される。
3: 物質は拡散する。

この3項目を改めて見直すと、何となく同じことを言ってはいないだろうか。
「平均化する」
「均一化する」
「だんだんばらばらに散らばってゆく」
とでも言えばよいのだろうか。 実際、この3項目は本質的には同じことを主張しているのである。 しかし、その本質を日常用語で簡潔に表現するのは難しい。 これを的確に表現できるのが、「エントロピー」という物理学で導入された指標なのである。 どんな概念であっても、できれば平易な言葉で説明できるに越したことはない。 しかし、ことエントロピーについては例え話や例を連ねるより、数式の方が簡明で解りやすいと思う。

以上で「エントロピー」に入る準備が整った。 次に、具体的なエントロピーの定義に移ることにしよう。


例えば気体の自由膨張のどこに「エネルギーの流れ」が見出されるのか、といったお叱りを受けるかもしれない。 これは完全な表現ではなく、説明の方便であることをご了承頂きたい。 気体の自由膨張であっても、気体の為すであろう「仮想的な仕事」まで含めて考えれば必ずしもエネルギーの流れと無縁ではない。


より正確には「あらゆる物理的な変化はエネルギーという観点から捉えることができる」であろうか。 エネルギーとは、つまるところ人が生み出した概念であり、手にとって示せる物体の類ではない。 物理現象にエネルギーが関与しているかどうかを判断する主体は、結局は見る人の側にある。


冷却について考えると、熱を奪う変化でありながら物質の拡散をともなわない現象もある。 例えば、ペルチェ素子を用いた電力による冷却、消磁冷却、レーザー冷却、などである。 なので「冷却 → 物質の拡散」という図式は必ずしも真ではない。 物質の拡散をともなわない冷却では、外部から何らかの形で利用可能なエネルギーを注入している。 そして、注入したエネルギーは「最後には熱に変わる」という1番目のルールに従っているのである。
ページ先頭に戻る▲