円環の過程とは何か
2006/08/28
円環の連鎖から成る世界。 これは不確定分子モーターが成り立つ条件を追っているうちに得られた概念である。 しかし、そこには何か恣意的なものが感じられないだろうか。 果たして現実の世界は分子モーターが成立するような、円環の連鎖から成り立っていると言えるのか。 むしろ分子モーターに合わせて、世界の方を曲解しているのではないか。 確かに、世界が円環の連鎖のみから成り立っているという解釈は極端な理想化であって現実的ではない。 現実の世界は2つの要素の混合から成っているというのが私の考えだ。 1つ目の要素はごく一般的に知られているエントロピー増大過程。 もう1つの要素は熱ゆらぎに源を発する不確定分子モーターの過程。 前節からの比喩を借りれば、世界は「直線」と「円」の組み合わせから成り立っているのである。 エントロピー増大過程については改めて述べるまでもないので、ここでは円環の過程について述べよう。 そもそも円環の過程とは何なのだろうか。 これまでは分子モーターが円環になったレールの上を走るという特殊な状況を想定し、そこから漠然とエネルギーが巡回する様子を思い描いていた。 それゆえ、円環の過程、円環の世界と言われても曖昧な像しか結ばない。 ここで改めて、円環の世界に対しての定義付けを行なおう。 対象とする系が円環的であるとは、
1.系の状態が初期状態に再帰するような経路が存在すること。
の2条件を満たすことである。2.ただし、その経路上のどの2状態も相異なっていること。 条件1.は円環であることを別の言葉で述べただけである。 条件2.は往復運動のように、正確に元来た道を引き返す過程を除外したものだ。※ 多数の粒子から成るマクロな系が円環的であるかどうかについては注意が必要だ。 有限な大きさの力学系であれば、理屈の上では全てが円環的だと言えなくもない(ポアンカレの再帰定理)。 しかし、現実的に再帰するまでの時間があまりにも長かったり、確率があまりにも低いものはエントロピー増大の過程と見なす方が自然だろう。 それゆえ、ここでは円環の定義にいささか現実的なもう1つの条件を付け加えることにする。
3.再帰するまでの経路が十分に短いこと。
純粋に力学的な観点に立てば、円環的でない系を探す方が難しい。
条件3.が無ければ全ての系は円環的なのである。
しかし現実的には大多数のマクロな系は円環的ではない。
以上の3条件を見直せば、円環的な世界が特殊な概念ではなく、一般的なものであることがわかるだろう。 円環的な世界観は決して目新しいものではない。 しかし円環的な系を実験の上で見ることは希だったので、これまでは一部の数理的な話題以外に円環の概念が登場することはなかったのである。※
次に「円環の過程」について考えよう。
(エントロピー増大過程に対する)円環の過程とは、
I = ln ( 実現している特定の方向の場合の数 / 考え得る全方向の場合の数 )
で計ることができる。
例えば右回りか、左回りかのいずれか一方というのであれば、情報量は I = ln 2 である。
外部から情報を受け取るためには、必然的にエネルギーの流入が伴う。
従って外部から情報が流入する過程は、どちらかと言えばエントロピー増大過程の方に分類される。※
外部からの情報の流入が無いとすれば、特定の方向を保つための情報は初期条件として与えられたものである。
この初期条件として与えられ情報のことを「初源情報」と呼んでいた。
円環の過程とは、向きを保つための情報が初期条件として与えられた場合のみを指す。
・円環の過程の条件(定義):
「系に与えられた初期条件に従って、エネルギーが特定の方向に流れ続けること(そのような過程)」 「流れ続ける」ためには、系は自ずと円環的でなければならない。(あるいは無限に長い経路を持つ必要がある。) 以上で円環的な世界、円環の過程の定義付けが済んだわけだが、通り一辺倒の定義だけでは具体的なイメージに結びつき難いであろう。 そこで、円環の世界を思い切り単純化したモデルによって以下に示そうと思う。 今ここに、コーヒーが注がれた1つカップがあることを想像して欲しい。 カップの内側は非常に滑らかで、カップとコーヒーとの間には摩擦が全くないものとしよう。 また、コーヒーの表面と空気との間の摩擦も無いものとする。 この状況下で一度コーヒーをかき混ぜれば、摩擦が無いため渦巻きの流れは失われることなくいつまでも回り続けることになる。 コーヒーを構成する個々の分子は様々な向きに運動する。 流れの中にミルクを投じれば、でたらめなコーヒーの分子運動にかき乱されて、やがてミルクはコーヒー全体に拡散するであろう。 しかし、いかに乱雑な分子運動をしようとも、コーヒー全体の一様な流れは止むことがない。 仮にこれが小さなコーヒーカップではなく、非常に大きな、宇宙全体がすっぽりと収まるような巨大なコーヒーカップだとしたらどうだろうか。 宇宙全体が回っていたとしたら、全体として特定の角運動量を有していたとしたら、その回転を止める手だては一切無い。 宇宙にはその外側が無いのだから(外側は考慮の外にあるのだから)、回転していても静止していても区別が付かないと反論されるかもしれない。 しかし、たとえ外側が無かったとしても遠心力が働くので、回転の有無は内部だけで識別できるのである。 円環の世界の最も基本的なイメージは「回っていること」にある。 現実のマクロな世界では、どんな回転もいつかは止まる。 コマであれ、地球であれ、いつかは勢いを失う時が来る。 それでは、宇宙全体が回っていたとしたらどうだろうか。 コマと違って、宇宙全体の回転はもはや止まりようがない。 果たして宇宙全体が一定の角運動量を有しているかどうか、簡単に知る術はない。 全く自転のない星は極めて珍しいように、むしろ宇宙全体が回っていた方が自然であるようにも思える。 ただ、仮に宇宙全体が回っていたとしても、その一巡に要する時間は極めて長いであろう。 それゆえ我々人間のスケールに及ぼす影響は極めてわずかであろうと考えられる。
宇宙のコーヒーカップはあまりにも大きすぎるので、次に、小さく閉じた小宇宙的なコーヒーカップを考えてみよう。
小宇宙的なコーヒーカップとは、外界と何の交渉も持たず、その内部だけで一方向に回り続ける閉じた世界のことである。
こういった小さく閉じたコーヒーカップがあったとしても、その内部の回転は外側の世界に何の影響も与えない。
もし小さなコーヒーカップが外界に影響を与えるとすれば、そのときはカップの壁面に摩擦が働くとき、つまりこの小世界の回転が止まるときであろう。
そのとき小さな世界の回転が止まる代わりに、角運動量保存のため、外界を含む大きな世界が少しだけ回転を増すことになる。
小さなコーヒーカップと外界の間で運動量を直接やりとりすれば、小さな回転は大きな世界の一部に自然に埋もれてゆく。
この埋もれてゆく過程は拡散の過程、つまりエントロピー増大の過程である。
外界との接触がなければ小さな回転が失われることもなく、外界に影響を及ぼすこともない。
外界と完全に接触すれば、外界に影響を与える代わりに小さな回転は失われる。 ところで、このとき宇宙全体で見た角運動量はどうなっているのだろうか。 角運動量は保存するはずだ。 宇宙全体が、当初小さなコーヒーカップが持っていたより大きな角運動量を持ったとすれば、それはどこかがおかしい。 実は、長時間の平均をとれば角運動量は確かに保存しているのである。 小さなコーヒーカップには長い待ち時間が必要となるのだが、その間は回転は停止している。 その長い停止時間の分だけ、大きな外の世界を回すことができるのだ。 もしコーヒーカップと外の世界の大きさが極端に異なっていたならば、待ち時間も極端に長くなる。 この極端に長い待ち時間があるので、外の世界が一瞬だけ角運動量を有したとしても、長時間の平均をとれば当初小さなコーヒーカップが持っていた角運動量は保存するのである。 小さなコーヒーカップの回転が宇宙全体に影響を与える方法は、上記のごとく2種類ある。 1つは密な接触、運動量、エネルギーの直接のやりとりによるエントロピー増大過程。 もう1つは疎な接触、仕切の出入り操作のみによる円環の過程である。 宇宙全体、長時間の角運動量という視点から見れば、両者の最終的な結果に違いは無い。 それでは両者の違いはどこにあるのかと言えば、当初小さなコーヒーカップが有していた情報が失われるか、保持されたままであるかという点にある。 エントロピー増大過程においてコーヒーカップの持っていた情報は宇宙全体に拡散し、失われる。 円環の過程ではコーヒーカップの情報は保持されたままであり、ある時点で仕切を入れる操作を停止すれば初期の状態に戻ることができる。 円環の過程は情報が手元に残っている、即ちコントロールが手元に残っているのである。 ここがエントロピー増大過程に比して有用な点であり、円環の過程の核心であると言える。 情報を制する者は、宇宙をも回すことができるのだ。
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