第四章 情報エントロピーの力
時間と空間の違い
2006/08/24  

マックスウェルの悪魔、即ち熱運動を利用可能な仕事に変換するための必要条件とは「エネルギーが取り出される時刻が不確定なこと」であった。 装置の入力である熱が複数の状態を含んでいるのだから、装置の出力も複数の状態でなければ物理法則に反する。 それゆえ、装置の出力を時間的に異なるものとして複数の状態を保とう、というのがここでの考え方の骨子である。
ところで、単に「出力の状態が複数でなければならない」のが必要条件なら、なぜ「時刻」にこだわるのだろうか。 「時間的に不確定」な出力というものが考えられるなら、「空間的に不確定」な出力というものも考えられはしないだろうか。 「空間的に不確定」とは、要するに「どこから出てくるのかわからない」ということである。 もし出力が不確定というのが悪魔の存在条件なら、「空間的に不確定」な悪魔も「時間的に不確定」な悪魔と同様に存在できるはずだ。 ここでは、空間的に不確定な悪魔の装置ついて考察し、なぜ時間が重要なのかについて再認識する。

空間的に不確定な出力、つまり出力がどこから出てくるのかわからないという性質を持った装置を想定してみよう。 装置は出力A、出力B、出力C・・・といった具合にn個の出力を持っている。 これらの出力が、それぞれ入力である熱運動に対応して動作するものとしよう。 より具体的に想像すると、ここにA、B、C・・・とn本の腕を持った不思議な装置があって、ときどき腕の内のどれか一本が突き出してきて(別に”回転して”でもかまわないのだが)外界に対して仕事を為す。 次にどの腕が動作するのかは全く予想がつかない。 もしこんな装置を動力源として用いなければならないとしたら、どうするだろうか。 私なら、まず扱い易いようにn本の腕を1つに揃える努力を行うだろう。 この装置全体を1つの巨大なシリンダーの中にすっぽり収めて、ピストンで蓋をする。 そして、どの腕が突き出してもピストンが押されるように、装置を上手に配置する。 必要ならば、ギヤなりクランクなり適当な機構を追加してもよいだろう。 さて、このように細工を施した装置は、もはや「どこから出てくるのかわからない」といった不確定な性質を失っている。 確かにシリンダーの中を覗いてみると、次はCの腕、次はAの腕、といった具合にどの腕が動き出すのか予想がつかない。 しかしシリンダーの中身はブラックボックスとして無視できる。 外から見た「装置+それを覆っているピストン」は、確定した、どこから出てくるのかはっきりとわかっている仕事を出力していることになる。※

もう一つ、空間的に不確定な出力を確実に1つに揃える方法がある。 まず適当な「熱溜め」を用意する。 「熱溜め」というのは熱容量を持つものなら何でもよくて、とりあえず空の、理想気体の入った箱ということにしよう。 複数の不確定な出力A、B、C・・・から得られる仕事を、全てこの「熱溜め」の温度を上げるために使用する。 それぞれの腕から得られた仕事でもって、熱溜めの中にある摩擦のある物体を擦り合わせてやればよい。 こうすれば、どの腕が動いたとしても熱溜めの温度は確実に上昇する。 十分に温度が上がったところで、カルノーサイクルを用いて熱溜めから仕事を取り出せば、確実に一定の出力が得られることだろう。 この方法だと、仕事を一度熱に換えて、もう一度仕事に戻すのだから確かに効率は悪い。 しかし、とにかくこの方法によって「空間的に不確定な」仕事を「確定した」仕事に変えることができるのは間違いない。

仮に「出力が空間的に不確定な装置」、出力がどこから出てくるのかわからない装置があったとしても、適当な仕掛けを施すことによって出力を確定的なものに(どこから出力するかはっきりわかるように)することができる。 途中の経過がどうであれ、もともと不確定な熱が最終的に確定的な出力に変換されるというのは物理法則に反する。 どうやら「空間的に不確定」ということに本質的な意味は無いのだと考えた方がよさそうだ。

「空間的に不確定な悪魔の装置」、熱を取り入れて、どこに作用するのかわからない仕事に変換する装置は本当に実現不可能なのだろうか。 一般的に、装置が連続的に動作し続けるためには、周期的に最初の状態に戻ることが必要条件となる。 もし装置の状態が一方的に変化したなら、装置の温度が上がり続ける一方だとか、装置内に廃棄物がたまり続ける一方などというのであれば、いつまでも連続的には動かない。 装置が一巡した後は「装置内部に何の痕跡も残さずに」もとの状態に戻っていなければならない。 何らかの痕跡が装置内に残っていたとしたら、その痕跡が装置内にどんどんたまり続けて、いつかは装置自身が破綻を来たすことになる。

いま、複数の出力A、B、C・・・を持つ装置があったとしよう。 この装置が出力Aから仕事を出力したとき、装置の内部は出力Aに対応した状態Aとなっていることだろう。 出力Bのときには状態Bに、出力Cなら状態Cになっているはずだ。 A、B、Cと異なる出力から仕事をしながら、装置の中身は全く同一の状態Zだった、というのは考え難い。 問題は、状態A、B、C・・・と異なった状態下にある装置を、どうやって最初のただ1つの状態0に戻すのかという点にある。※ 複数の異なる状態を、何の痕跡も残さず、エネルギー消費も無しに単一の状態に戻すのは不可能だ。 よって「出力の空間的な位置が不確定な悪魔の装置」を実現するのは不可能ということになる。

上では具体的に、出力の腕を突き出す装置を想像した。 入力の熱の状態に応じて異なった腕を突き出す装置、ここまでなら実現可能だろう。 しかし、一度突き出した腕をどうやって引っ込めて元の状態に戻すかが問題なのである。 例えば、状態Aだったなら出力Aを、状態Bだったなら出力Bを、それぞれの状態に応じて引き戻す「リカバリー装置」をつけ加えたとする。 すると今度は、この「リカバリー装置」を元の状態に戻すことが新たな問題となってしまう。 もし「リカバリー装置」を元に戻すために「リカバリー装置のリカバリー装置」を付け加えたとしたら、このいたちごっこはいつまでたっても終わらない。 結局この装置は実現することができないのである。

結局のところ「空間的に不確定な」悪魔の装置は不可能だったわけだが、それならば、なぜ「時間的に不確定な」悪魔の装置の方は可能だといえるのだろうか。 空間がだめだったのだから、やはり時間もだめなのではないかという疑念が頭をもたげる。 ここで、もう一度「時間的に不確定な」場合、出力の時刻がわからない悪魔の装置について再検討しよう。

悪魔の装置が熱を入力として取り込んだ場合、装置内部の状態数の増加は避けられない。 これは、そもそも熱というものがランダムな運動=「複数の状態を内包したエネルギー」だからである。 「空間的な悪魔の装置」では、装置の内部がA、B、C・・・といった複数の状態になってしまうと、もとの単一の状態に戻すことができなかった。 では「時間的な悪魔の装置」はもとの状態に戻すことができるのだろうか。 時間的な悪魔の装置の場合、装置が状態Aになっら1秒後に、Bになったら2秒後、Cになったら3秒後・・・といった具合に「状態の違いを時刻の違いに変換して」出力する。 だから、もとの状態に戻るのにも「1秒後に戻る」「2秒後に戻る」「3秒後に戻る」・・・といった時刻の違いが現われるはずだ。

ここで、厳密に考えるなら「1秒後に戻った状態0」と「2秒後に戻った状態0’」は異なる状態なのだとしなければならない。 状態0と状態0’とでは、装置を含めた世界全体の未来が全て1秒ずつ食い違うからである。 だから、時間的な悪魔の装置も決して完全に同一の状態0に戻るわけではない。 装置内部の異なった状態A、B、C・・・に対応して、時刻の異なる状態0、0’、0”・・・に戻るのである。

ここで、我々は「何をもって異なる状態と数えるのか」という本源的な問題に立ち返らねばならない。 対象の空間的な位置が異なったとき、我々はそれらの対象を異なった状態にあると認識する。 位置が異なることを知るためには、位置の基準となる座標が必要となる。 何か基準となる座標に対して、例えば地上にあるものなら地球に対して緯度いくつ、経度しかじかにあるということが初めて言える。

本当に何もない空間にただ一つだけ浮かんでいる物体があったとしたら、その物体の位置を特定することはできない。 これと似たようなことが時間についてもあてはまる。 何らかの事件、例えばキリスト生誕から数えて現在は2000年という数え方ができるわけで、何の基準もない所では時刻の数えようがない。 それでは、時刻のみが異なり、その他が全く同一の状態というのは、果たして異なる状態として数えられるのだろうか。 この答えは、時刻の基準点をどこに置くかによって決まる。 絶対的な時刻の基準点を設ければ、異なる時刻に起こった事柄は全て異なる状態となる。 しかし、時刻の基準点が相対的に平行移動できるのならば、異なる時刻に起こった同一の現象は、同一の状態と見なすことができるだろう。※

「時間座標は平行移動できる」この考えをふまえて「時間的な悪魔の装置」を見直してみよう。 絶対的な時間座標から悪魔の装置の挙動を見た場合、悪魔の装置の状態数は一方的に増えてゆくのだと解釈できる。 悪魔の装置の運転開始を時刻0として、仕事を1秒後に取りだした状態0と、2秒後に取りだした状態0’、3秒後の状態0”、は全て異なる状態だ。 この3つの状態に対応して、異なる3つの未来があることだろう。 一回の運転で3通りの状態=3通りの未来が分かれたのだが、2回の運転では3*3=9通り、3回の運転では3*3*3=27通りの未来が分かれることになる。 実のところ、悪魔の装置の運転3回で打ち切るといった操作はできない。 より正確には、3秒後に運転を中止した場合、3秒、2秒+1秒、1秒+2秒、1秒+1秒+1秒、の4通りの未来が分かれることになる。

同じ現象を相対的な時間座標から見てみよう。 装置が一巡して最初の状態と同じ状態になったとき、過去に何が起こったかをすっぱり忘れて時間座標を再設定する。 過去、ここに来るまでに、1秒かかったか2秒かかったのか、はたまた3秒か、そんなことは全て水に流して、とにかく現在の時刻を0と再定義するのである。 こうすれば「現在の」装置の内部は状態0のただ一通りとなる。 もとの状態に戻れたのだから、何の問題もなく次のサイクルを起こすことができる、連続して動き続けることができる。 通常、装置内部の状態数は一方的に増え続けることはできない。 しかし「時刻の違い」という量だけは、例外的にどれほど増えても装置に破綻を来たさないのである。

ここで重要な点は、時間座標を再設定しても決して世界全体の状態数は減少しない、ということである。 世界全体とは、装置自身と、装置を取り巻く外界のことを指す。 装置のみに着目した場合、例えば1秒後に戻った状態0と、2秒後に戻った状態0’は全く同一の状態にあるかもしれない。 しかしこの2つの状態を時間座標の再設定という操作によって重ね合わせると、装置を取り巻く外界が2状態に分かれる。 ちょうどそれは2枚の異なる絵の中に一致する部分があったとき、その一致する部分を重ね合わせたとしても残りの地の部分は一致しない、といった状況に似ている。 もともと異なる2枚の絵を完全に一致させるのは無理な話である。 しかし共通な部分があれば、その部分だけを重ね合わせることは十分可能だ。 2枚の絵の例では共通部分が空間的に異なる位置に置かれていたのに対し、悪魔の装置の場合、共通部分は異なる時刻に現れる。 それゆえ空間的な移動ではなく、時間的な平行移動といった操作によって共通部分を重ね合わせることができるのである。 時間座標の平行移動といっても、実際には何か特別な操作を施すわけではない。 だた装置の挙動が非周期的になる、1周期に要する時間の長さが不定になるだけのことに過ぎない。

悪魔の装置に必要な条件は、エネルギーが取り出される時刻が不確定ということだった。 なぜ「時刻」でなければならないのか、根本的な理由は「時間座標は平行移動することができるから」だと私は考えている。 装置内の何かの位置が異なる状態を、座標変換によって同一の状態と見なすことはできない。 悪魔の装置が一巡し終えた後、装置内に位置的に異なる状態数が増えたなら、もうそれ以上装置を連続運転させることはできないのである。 もちろん一巡した後、装置の内部エネルギーが増減していても困るし、装置内で化学変化が起こっていても困る。 唯一、装置内に累積したとしても永続的に運転することが可能となる量、それが「時刻が異なる状態数」なのである。 「時刻が異なる状態数」が累積したとしても、過去の記録を切り捨てさえすれば、装置を永続的に運転させることは可能だ。 ただ代償として、装置の出力がいつもたらされるのか、その時刻が不確定になるのである。

悪魔の装置の時刻が不確定という条件には、以上のような理由があったのだ。 「時刻不確定」以外の方法で悪魔の装置を実現することは、恐らく不可能であろう。


実は、上の「ピストンで覆う方法」には不完全な点がある。 例えば、腕Aがピストンの左端を押し、腕Bがピストンの右端を押していたとすれば、AとBではピストン外部に異なった偶力を及ぼすことになる。 もしピストンを地球上に固定していたとすれば、地球はピストンから異なった力を受けるだろう。 原理に忠実に考えるなら、ピストンに蓋をつけようが、何をしようが、複数の異なる状態を完全に同一の状態にすることはできない。 しかし、この例に限って言えば、ピストンの持つ状態の違いを「地球」というほとんど状態の違いが無視できる物体の上に逃がすことができる。 それゆえ、取り出された仕事を地球上で利用する限りにおいて、この例の主旨はほぼ正しいであろう。


別に”単一”の状態でなくても構わないのだが、とにかく最初の状態数まで戻さなければならない。 例えば、装置が最初5通りの状態を持っていたとすれば、一巡した後は最初の5通りにまで戻さなくてはならない。 5通りだったのが、10通り、20通りと増えてしまっては困るということだ。


本当に時間座標が平行移動できるのかどうかについては議論の余地が残されている。 宇宙の始まりの時刻に重大な意味があるとか、不変と考えられていた基本的な物理定数が長い時間の後には変化するとか、こういったことが絶対にないとは言えない。 しかし、ここで取り上げている悪魔の装置は人間が利用できる程度の長さの時間スケールを前提としている。 その程度のスケールにおいて「時間が平行移動できる」ということは原理として認めてもよいだろう。
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