試行錯誤その1 〜 複数の悪魔
2006/08/22
まずは”シラードの悪魔”を手直しするところから始めよう。 私が最初に思い付いたアイデアは、”悪魔の数を複数に増やす”というものだった。 先に紹介した”シラードの悪魔”では、一個の気体分子が入っている箱を2つの部屋に分割することを考えた。 ここでは2分割ではなく、3分割なり10分割なり、もっと多数の部屋に分割することを考える。 (実はオリジナルのシラードの論文でも、2分割以外にm:n分割などの場合が言及されている。) 分割数を増やすとどんな良いことがあるかというと、とりだされる仕事が増えるのである。 より小さな部屋に閉じ込められた気体分子は、より強く圧縮された状態にある。 部屋の分割数nに対して取り出される仕事Wは W=kT*ln(n) であり、nに対する単調増加である。 一方、n個の部屋の中から分子の入った部屋を見つけるのにかかるエネルギーはどうなるだろうか。 たくさんの部屋の中から一個の分子を見つけるのは大変な(自由エネルギー消費を伴う)作業なのだろうか。 ここで私は「上手に探せばわずかの自由エネルギー消費で分子を見つけることができる」と考えた。 以下に、「たくさんの部屋の中から一個の分子を見つける方法」について検討してみよう。 分子が在るか無いかを検知するには、有無を知らせる信号が必要となる。 信号には、電気や光、音など様々なものがあるが、どんな形態の信号であろうともある大きさのエネルギーを有するはずだ。 信号を作り出すのにかかるエネルギーはできるだけ小さく抑えたいところだが、熱雑音に負けないために信号の大きさには下限が存在する。 この下限となる信号エネルギーの大きさをeとしよう。 eの大きさは少なくとも、一個の分子から成る気体が2倍に膨張する際に得られるエネルギーよりは大きくなる。 だから、分子の入った箱を2分割しても信号エネルギーeのもとはとれない。 そこで、部屋の分割数を増やして、例えば2分割時の2倍のエネルギーを得ることを考えてみよう。 2eのエネルギーを得るには、まず気体が2倍に膨張してe、さらに2倍に膨張してeだから、2*2=4分割すればよいことになる。 (部屋の数が4ならば4eとなるわけではない。エネルギーを1e、2e、3eと増やすごとに部屋の数は2、4、8と倍々に増える。) それでは、4つの部屋の中から1個の分子を見つけ出すには何回の観測が必要だろうか。 単純に1つ1つの部屋をしらみつぶしにすれば、4回の観測が必要となる。 4回の観測にかかるエネルギーが4e、取り出されるエネルギーは2eだから、差し引き2eの赤字となる。 これでは2分割の方がまだましであった。 ところが、もう少し頭を使えば測定回数を2回にまで減らすことができることに気付く。 4つの部屋を大きく右の2部屋と左の2部屋に分けて、一回目の測定では、まず右半分にあるか左半分にあるかを見極める。 次に分子の存在する半分の中から、2部屋のどちらに分子があるのかを測定する。 この方法だと測定回数は2回で済むので、測定にかかるエネルギー2e、取り出されるエネルギー2eで差し引き0となる。 複数の部屋の中から1個の分子を見つけだす方法として、最も測定回数が少ないのはここに挙げた「2分探索法」であるといわれている。 「2分探索法」を用いた場合、部屋が8個の時測定回数3回=得られるエネルギー3e、部屋が16個の時測定回数4回=得られるエネルギー4e・・・常に測定に費やすエネルギーと得られるエネルギーが等しくなる。 理論的には、(最も無駄のない方法で)測定にかかるエネルギー=得られた情報=取り出されるエネルギーと考えて良い。 現実には、摩擦があったり有限時間内にエネルギーをとりださねばならない(準静的過程ではない)ので、測定にかかったエネルギーの全てを回収することはできない。 ここで私はこう考えた。 「2分探索法というのは理にかなってはいるが、ずいぶん不自然な方法だ」と。 仮に自分が複数の部屋のどれかに入っている一個の分子を探すとしたら、どんな方法をとるだろうか。 私はまず「部屋の中身が一目で見られれば便利だ」と思った。 そのためには「部屋が透明な材質でできていればよい」と考えたのである。 透明な部屋に入った分子なら一目で見分けることができる。 一目でよいのだから光をあてるのも一回で充分なのではないだろうか。 いま、複数の透明な部屋を横一列に並べて、全ての部屋を貫通するように横から光をあてる。 こうすれば光を当てるのは1回で済む。 光は透明な部屋を貫通し、分子に当たって向きを変える。 これを傍らで観測している者の目には、分子の入っている部屋がキラリと光るのが見えることだろう。 「どの部屋が光ったのかを見分ける目」を適当な機械仕掛けで実現するには、光の有無を検知する受光器が少なくとも部屋の数だけ必要となる。 部屋の形や分子の動く範囲等を適当に工夫すれば、分子の入った部屋に対応する受光器が感応するように(3番目の部屋には3番目の受光器といった具合に)できるであろう。 問題は複数の受光器を稼働させるのにどれだけのエネルギーを費やすかという点だが、これには解決策がある。 受光器は受け身なのだから、稼働する受光器は光の当たった1個だけで、他の受光気は「休んで」いればよい。 つまり受光器自体が後に続く系の起動スイッチとなっているわけだ。 こうすれば部屋の数=受光器の数が幾つあっても、費やすエネルギーは一定値で済む。 一回の測定で分子が見つかってしまえばもうしめたもので、あとは気体の膨張と同じ要領で仕事が得られるだろう。 この「透明な部屋」の方法だと、部屋の数がどれだけ増えようとも測定回数はいつも1回だけである。 だから多少のロスがあったとしても、部屋の数を増やせば必ずもとがとれるはずだ。 以上で私があみだしたのは、言うなれば「悪魔を複数用いる」方法である。 たくさんの悪魔がいても、活動するのは常に1匹だけで、残りの悪魔は「寝ている」。 消費するエネルギーは1匹分、取り出すエネルギーは部屋複数個分だから、これはうまい話であろう。 悪魔はお互いに、別の仲間がいることを知らない。 なぜなら共同で活動することがないからである。 例えば3番目の悪魔が活動しているとき、悪魔自身は自分が「3」であることを知らない。 悪魔に与えられる情報は単に「今活動しろ」という一事だけで、「3番目が活動しろ」ということではない。 ここに測定が1回で済む秘密がある。 もし悪魔に「3番目、5番目」という数字を伝達しようとすれば、一個の光量子では足りない。 しかし「何番目」といった情報は、エネルギーを取り出すという最終目的には不要だ。 この装置が稼働している際中、果たしてどの悪魔が働いたのか知る方法は無い。 知る必要も無いのである。 2分探索法では、一回の測定で得られる結果は「ある」か「ない」かの2通りだという暗黙の了解があった。 ところが光の状態には「ある」「なし」だけではなく「どの向きからやってきたか」ということもあるだろう。 物理的な1個の光量子に対して1ビットの情報ではなく、光の向きを利用して1ビットより大きな情報を託せるはずだ。 「1ビットの情報=1個の光量子とするのはおかしい。情報と物理的な実在との間には特別な規則など存在しないのではないか」、これが「複数の悪魔」が投げ掛ける論点だ。 いまここにA、B、C、Dの4個のスイッチがあったとしよう。 条件aが起こった場合、光量子が飛んでいってAのスイッチを押す。 条件bの場合にはBを、cの時にはCを、dならDを押すとしよう。 このような機構の実現に、特に物理的な問題はない。 ここでスイッチを押す光量子にはA、B、C、Dの4状態が託されているのだから、たった1個の光量子に4状態=2ビットの情報が乗っていることになる。 スイッチの数を増やせばもっと多くの情報が盛り込めるであろう。 伝達媒体は光量子でなくとも、電気信号でも、歯車と棒のような力学的な機構でも何でも構わない。 要点は、「1ビットの情報=1個の粒子」という図式はただのつじつま合わせに過ぎず、現実には情報と物理的な実在の間には何の関係もないという所にある。 さて、以上で本当にMaxwellの悪魔が実現できたのだろうか。 「複数の悪魔」こそ、実現可能な第二種永久機関なのだろうか。 実は、せっかく一生懸命考えた理屈ではあるが、この「複数の悪魔」は期待通りには働かない。 では上記の説明に何が足りないのだろうか。 ・・・以下の答を見る前に、ちょっと考えてみて欲しい・・・ 「複数の悪魔」の説明は間違っているわけではない。 ガチガチの古典的解釈をすれば、あるいは絶対0度の下でなら「情報と物理的な実在の間には何の関係もない」と言えるかもしれない。 しかし、ここで考えている装置は常に熱ゆらぎにさらされている。 この点が「複数の悪魔」の見落としているポイントである。 熱ゆらぎにさらされている装置は、いかなる場合でも100%確実に動作するという保証が無い。 熱ゆらぎに比して装置を動かしているエネルギーが大きくなれば、誤動作する確率が下がるというだけのことに過ぎない。 「悪魔の数」すなわち装置の数を増やすということは、それだけ熱ゆらぎに付け入るスキを与えるわけだから、誤動作する確率を上げる結果となる。 予期せぬ熱ゆらぎを受けた場合、装置はどうなるであろうか。 最悪の場合、装置が破壊されることもあるだろうが、ここでは可能性を探るため最良の場合を考えよう。 仮にあらゆる熱ゆらぎをシャットアウトするような断熱壁があったとして、これで装置をできる限り保護する。 (完全な断熱壁とは、力学的な分子運動だけでなく電磁波をも通してはならない。現実にこんな壁があるとは考えにくいが、「摩擦のない運動」などと同様の理想化である。) 装置の至る所に断熱壁を張り巡らしたとしても、構造上どうしても熱にさらさなければならないポイントが存在する。 それは「入口」と「出口」だ。 「入口」とは分子が外部の熱エネルギーを吸収する箇所、「出口」とは測定に用いた信号(光量子など)を捨て去る箇所である。 この2箇所のうち、入口については対処方がある。 一つのやり方は、エネルギーを取り入れている最中は観測装置にフタをして、装置を熱ゆらぎから守る方法である。 観測するときには、観測装置のフタを外すと同時に外部からの熱エネルギー取り入れを一時中断する。 反対に、熱エネルギー取り入れを行なうときには観測装置のフタを閉じるのである。 また、分子をそろばん玉のように固定して、X方向に熱振動するがY方向には固定するなどの方法もある。 このとき、測定はY方向から行ない、仕事はX方向から取り出せばよい。 いずれにせよ、装置の中の観測する系と仕事を取り出す系を分離すれば、「入口」から観測装置に熱ゆらぎを持ち込む心配はない。 残る問題は「出口」である。 役目を終えた信号のエネルギーはどこに消えるのだろうか。 エネルギーの捨て場所は、装置の周囲をとりまく熱源以外にない。 信号エネルギーが周囲の熱ゆらぎに比べて充分大きければ(つまり外気温に比べて捨て去るエネルギーの方が高温なら)排出はスムースに行なわれることだろう。 しかし、信号エネルギーが熱ゆらぎに比べてほんのわずかだけ大きいぎりぎりの線では、排出は簡単ではない。 ちょうど信号エネルギーを捨てようとした瞬間に、ゆらぎによって周囲の温度の方が高かったという事態があり得る。 周囲の温度の方が排出しようとするエネルギーの温度より高いと、エネルギーを捨てることができないばかりか、逆に周囲から装置内にエネルギーが入ってくる。 この「熱ゆらぎによるエネルギーの逆流」を防ぐにはどうしたらよいかというと、逆流に負けないぐらい信号エネルギーを大きくするしかない。 実は、この逆流に負けないぐらいの大きさというのが「信号エネルギーの下限e」なのである。 ところで、「熱雑音に打ち勝つ」とか「逆流に負けない」とは、一体どういうことなのだろうか。 熱雑音というのは全くランダムなゆらぎだから、どれほど大きな信号エネルギーを持ってきたとしても、理屈の上では100%絶対に熱雑音を上回るという保証は得られない。 つまり、熱雑音にさらされている装置は、どれほど大きなエネルギーを投入しても100%確実に動作するわけではなく、0.000・・・01%ぐらいは誤動作する可能性が残されていることになる。 次に、機械をできるだけわずかのエネルギーで動かすことを考えて、信号エネルギーを小さくしていったらどうなるだろうか。 信号エネルギーが小さくなるにつれて、装置の誤動作率は徐々に上がってゆく。 0.000・・・01%が0.01%ぐらいになり、30%になり、ついには50%を越えることだろう。 誤動作率が50%を越えると装置は全く用を為さない。 信号エネルギーが熱雑音に打ち勝つぎりぎりの大きさeとは、この誤動作率50%をぎりぎりでクリアーする大きさのことだったのである。 (現実問題として考えると誤動作率が50%をぎりぎりで下回った程度では、やはり使い物にならない気がする。しかし理屈の上では、たとえ誤動作率49%の装置であっても何度も何度も根気よく動かせば1%ずつ事態が好転してゆく、ととらえるのである。) ある装置にエネルギーの出(入)口が1つだけあったとして、この装置が誤動作率50%未満で動作するためには、排出するエネルギーの大きさがeより大きくなければならないとしよう。 それでは、エネルギーの出口が2個ある装置が誤動作率50%未満で動作するには、排出するエネルギーの大きさはeのままで良いのだろうか。 残念ながら、1個1個の出口で誤動作率50%だと、両方合わせて正しく動作するのは 50% x 50% = 25%となってしまう。 1個が正しく動いても、もう1個が間違っていたら全体としては間違いになってしまうのだから。 両方合わせて誤動作率50%未満とするには、1個の出口につき 1/root(2) =約70%より大きな確率で正常な動作が保証されなければならない。 そうなると、エネルギーの大きさはeよりももっと大きな値でなければならない。 出口の数が増えれば増えるほど、全ての出口を同時に正しく動作させるのは困難となるので、それだけ大きなエネルギーを要することになる。 以上が「複数の悪魔」、シラードの悪魔の部屋の数を増やしたものが永久機関として成り立たない理由である。 (複数の熱の出入口を持つ装置の中には、どれか1個が誤動作しても別の1個が正常動作すれば、装置全体としてはそこそこ正しく働くものもあるかもしれない。 しかし、ここで考えた「複数の悪魔」は、全ての出口について正常動作しなければ装置全体が正しく働かないのである。) 「信号エネルギーの下限e」とか「装置の誤動作率」といった概念は、熱ゆらぎにさらされている世界の下で初めて生じる。 熱ゆらぎの全くない、絶対0度の中や、熱的に全く孤立した魔法瓶の中のような世界なら、信号エネルギーはいくらでも小さくとることが可能だろう。 「熱ゆらぎにさらされた世界」より「ゆらぎのない世界」の方が単純に考え易いので、落とし穴に陥ってしまうのである。 Maxwellの悪魔は、熱ゆらぎにさらされている世界で働かなければ意味がないのだから。 |