序章 甦るMaxwellの悪魔
要約についての補足
2006/08/14  
先の要約で想定される主要な疑問について手短に答えておこう。
実のところ、議論すべき項目は高々一枚の紙面に収めるには余りにも多い。 それらは本論で述べるべきものであるが、端的に要点を知ることもまた必要であろう。 以下に3点を挙げる。
疑問点1
「時刻が不確定」という概念は、何か根本的な取り違えをしているのではないか?
ここで「場合の数」と呼んでいるものは、状態量、つまりある時刻において一意に定まる量のはずだ。 場合の数をSとすれば、Sは時間の関数
  S=S(t)
として表記されるべきものである。 なので、Sに異なる時刻を(例えばt1とt2などを同時に)持ち込むのはおかしいのではないか?

● 確かに「時刻が不確定」という言い方は誤解を招きやすい。 より正確には次の通りだ。

いかなる時刻においても場合の数が減少しないためには、系からエネルギーが取り出される時刻が不確定である必要がある。
世界全体についての場合の数S(t)は、いかなる時刻tに於いても減少しない。(実質的には増大する)
「時刻が不確定」なのは、対象となる系と外界の間でエネルギーをやりとりする時刻についてである。

具体的な状況を考えた方がわかりやすい。
いまここに、外界に対して仕事を行う1つの装置があったとしよう。 我々が身近に知っている装置、エンジンやモーターといった類のものは、周期的に、あるいは規則的に動作する。 例えば電力で駆動するモーターの場合、何ボルト何アンペアの電力を与えれば、一秒間に何回転するのか、計算によって正確に求めることができる。 こういった装置は、いつ、どれくらいの仕事が得られるのかを予め正確に言い当てることができる。 つまり「確定的に」動作する。
それに対して、いつ、どれくらいの仕事が得られるのかを予め言い当てることができない装置というものも考えられる。 つまり、非周期的に、あるいは不規則に仕事を行う装置といったものだ。 こういった装置のことを「確定的な」装置に対比させて、ここでは「不確定な」装置と呼ぶ。
この2種類の装置のうち、熱運動を利用可能なエネルギーに変換できるのは、後者の「不確定な」装置だけに限られる。 前者の、確定的に動作する装置は熱運動を直接利用することはできない。

熱運動を利用する装置、即ち対象となる系がサイクリックな(巡回的な)挙動を示すものだったとしよう。 このとき、系が熱を吸収して利用可能なエネルギーを出力するための条件は

1サイクルに要する時間が一律ではなく、N通り存在すること
である。
系が熱を吸収して、系の持つ場合の数がN通りだけ増大したとする。 もし系からエネルギーを取り出す時刻が確定的であったなら、エネルギーと共に場合の数を外界に持ち出すことはできない。 その結果、系の持つ場合の数は一方的に増大する。 しかし、系からエネルギーを取り出す時刻が一律に定まっていなかったなら、時刻を変えるという手段によって場合の数を外界に持ち出すことができる。 その結果、系の持つ場合の数はサイクル開始当初の状態に戻る。 また、系から異なる可能性を持つ時刻にエネルギーを受け取った外界の場合の数は増大し、外界の場合の数は系に熱を与える以前の状態に戻る。 かくして、世界全体の場合の数は減少しないのである。

=> 詳しくは第4章、03_不確定の定式化 で取り上げる。
疑問点2
「エネルギーを一時的に借りる」と言うが、もし一時的に借りてきたエネルギーが利用可能なものであれば、それを永続的な状態に持ち込むことができるはずだ。
例えば一時的に借りてきたエネルギーを全て摩擦熱に変えて、特定の部位の温度を上げることができる。 ここで生じた温度差を用いてカルノーサイクルを回せば、確定的かつ永続的な状態で利用可能なエネルギーが得られるはずだ。 これは「一時的にだけ利用できる」という元の主張と矛盾してはいないか。

● 実は、この質問のように確定的かつ永続的な状態でエネルギーを取り出そうしても、不確定分子モーターからは出力が得られないのである。 温度差が生じた時点で高温部から低温部への熱の移動が起こり、それが分子モーターの出力と釣り合うことになる。 従って分子モーターは、最初から確定的な温度差を生じることができない。 しかしながら、例えば次の様な状況であれば不確定分子モーターを稼働させることができる。
・特定の部位に高温状態を作らず、速やかに周囲に発熱を行なう。
・高温になっている時刻が正確に定まらず、いずれ周囲に発散する経路が存在する。
たとえ一時的に温度差が生じたとしても、その温度差がいずれは発散するといった状況下においてのみ、不確定分子モーターは意図した動作を行う。
ちょうど電気回路においてプラスからマイナスに一巡する経路があって初めて電流が流れるように、不確定分子モーターから生じるエネルギーも、熱から生じて熱に帰す経路があって初めて流れることができるのである。 確定的な高温状態とは、いわば電気回路の断線状態のようなものだ。 不確定分子モーターは、エネルギーが一巡する経路が存在する場合に限って稼働するのである。

=> 詳しくは第5章、02_温度差の矛盾 以降で取り上げる。
疑問点3
非対称性はどこから生じるのか?
熱運動はあらゆる自由度に対して均等に行き渡る。 一方、利用可能なエネルギーは、利用者が意図した特定の向きにだけ作用する。 均等なものから不均等なものが生じるのは不合理ではないか?

● 利用可能なエネルギーの非対称性は熱運動によって与えられるのではない。 熱運動を利用可能なエネルギーに変換する仕組みを、最初に設置したときに与えられた初期値が非対称性を生んでいる。
例えばある粒子の円環上の運動を考え、熱運動が右回りと左回りの2方向に均等に作用していたとしよう。 ここで、利用可能なエネルギーを取り出す仕組みを最初に右向きに設置すれば、エネルギーは右回りに流れる。 反対に左向きに設置すれば、エネルギーの流れは左回りとなる。 (円環上の運動なので、どちらか一方にエネルギーが流れ続けることによって温度差が生じることはない。)
左右を決定する1bitの情報は最初の配置、つまり初期値としてもたされたものである。 そして、この1bitの情報は、仕組みの配置を変更する等の操作を外部から加えない限り失われることはない。 (理論的には失われることはない。しかし実際には外界からの攪乱によって、この1bitはいずれ散逸することになるだろう。)

=> 詳しくは第5章、03_非対称性を求めて 以降で取り上げる。
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