計算機実験
考察:熱力学の視点より
2007/12/20  

なぜシミュレーションの結果がこのようになるのか、理由を考えてみよう。 この理由を深く知るためには、少しばかり「熱・統計力学」の知識をひもとくことになる。 具体的には、次のような視点を導入する。

・端の壁と隔壁に挟まれた1個のポールを、「ただ1個の分子から成る気体」と見なす。
・ボールが運動できる空間の広さ、つまり端の壁と隔壁の間の長さを「気体の体積」と見なす。
・ボールの速度(の2乗)を、気体分子が持つ運動エネルギー、すなわち「気体の温度」と見なす。
例えば空気は膨大な数の酸素分子と窒素分子(とその他の分子)から成っている。 1リットルの気体は(標準状態で)およそ 6.02 x 10^23 / 22.4 = 2.68 x 10^22 個の分子を含む。 これと比べれば、ただ1個の分子から成る気体は非常に小さい。 しかし、いかに小さくとも運動する分子なのだから、これは一種の「気体」である。 より正確に言えば、気体としての性質を有している。

例えば、気体は「(断熱的に)圧縮すると温度が上がる」という性質を有している。 この性質は、シミュレーション上でボールが隔壁と衝突する様子を見ればよくわかる。 ボールと、ボールの方に向かってくる隔壁が衝突すると、ボールは強くはじき返されて速度が増す。 つまり、1個のボールから成る気体の温度が上がる。 反対に、気体には「(断熱的に)膨張すると温度が下がる」という性質がある。 この場合は、ボールと、ボールから遠ざかる隔壁の衝突を思い浮かべればよい。 ボールから遠ざかる隔壁は一種のクッションとして働くので、衝突後のボールの速度は遅くなる。

   断熱条件と等温条件

気体分子の視点を導入すると、シミュレーション2と4の「左右のボールの速度を一定に保つ」意図が見えてくる。 ボールの速度が等しいということは、気体分子の言葉で言えば「温度が等しい」ということである。 つまり、シミュレーション2と4は「温度一定」という条件を想定していたのである。 これに対して、シミュレーション1と3は、外界とエネルギーのやりとりを全く行わない、断熱的な条件を想定している。

シミュレーション1&3: 断熱条件
シミュレーション2&4: 等温条件

   シミュレーション3

シミュレーション3で、正負の転送回数が等しくなった理由を考えてみよう。 シミュレーション1で見たように、もしワープゾーンが無ければ、隔壁の移動にともなってボールとの衝突が起こる。 その結果として「体積が狭くなった側の、気体の温度が上がる」。 言い換えれば、平均的に見て、狭い側のボールの速度は大きい。

ところが、ワープゾーンがあると話が違ってくる。 ワープゾーンを通じて隔壁が移動した場合、ボールとの衝突は全く起こらない。 この場合、体積が変化しても気体の温度は変わらない。 例えば、ワープゾーンを通じて隔壁を中央より左側に移動したとしよう。 このとき、狭くなった左側の部屋にあるボールが速くなることもないし、広くなった右側の部屋にあるボールが遅くなることもない。 もし左側の部屋にあるボールの方が、右側の部屋にあるボールよりも速かったのであれば、隔壁を左から右に押し戻す力が働くであろう。 ところが、ワープゾーンを通じて隔壁が移動した場合には、ボールに速度差が生じないため、隔壁を左から右に押し戻す力が働かない。 つまり転送された直後の隔壁は、中央に戻ろうとする傾向を特に有してはいない。 結局のところ隔壁は、ワープゾーンを通じて中央から左側に移動したのと同じ確率で、左側から中央への移動を行うのである。
たとえ左右の温度が等しくても、狭い部屋の方が分子の1往復に時間がかからないので、 隔壁を左から右に押し戻す傾向は全く消えるわけではない。 ただ、ワープゾーンを通じて移動した場合の方が、そうでなかった場合よりも、中央に戻ろうとする傾向が弱くなる。 ワープゾーンを通じて隔壁を中央から左に移動し、その後、普通に隔壁を中央に戻したら、 右側の部屋のボールの速度は、左側の部屋のボールの速度よりも大きくなる。 なぜなら、隔壁が中央に戻る過程で、ボールと隔壁が衝突し、速度が変化するからである。 右側の圧縮される側のボールは速くなり、左側の膨張する側のボールは遅くなる。 ワープゾーンを通じて隔壁の移動を何度も行うと、中央に戻ろうとする傾向は徐々に弱くなる。 やがて中央に戻ろうとする傾向はなくなり、最終的に左右の転送回数は等しくなるのである。 (訂正:2008/01/27)

   シミュレーション4

シミュレーション3で等しかった正負の転送回数が、シミュレーション4では等しくならなかった。 なぜ一方の転送回数が増したのだろうか。

ワープゾーンを置かないシミュレーション1とシミュレーション2では、隔壁が中央付近にある確率が最も高かった。 もし隔壁の分布をそのまま変化させずにワープゾーンを設置したならば、確率の高い中央から確率の低い端への転送の方が、その逆よりも多く生じるはずだ。 問題は「分布をそのまま変化させずに」という点にある。

以下で、ボール(気体分子)と隔壁の分布について考えてみよう。

■ シミュレーション1の場合:
隔壁が受ける圧力 Pは、いわゆる断熱曲線 PV^r = const に従う。
r は比熱の比、Cp(定圧比熱) / Cv(定積比熱) を表す。 今の場合、分子の運動は1次元なので、分子の自由度 f=1。 このとき r = (f + 2) / f = 3 となる。 左右のボールから受ける圧力 Pを重ね合わせると、隔壁は中央で釣り合う。

■ シミュレーション2の場合:
隔壁が受ける圧力 Pは、いわゆる等温曲線 PV = const に従う。
隔壁が左右のボールから受ける圧力 Pを重ね合わせると、隔壁は中央で釣り合う。 シミュレーション1と2の圧力 Pは異なっているので、隔壁の分布形状も1と2では理論上は異なるはずだ。 ただ、その違いを今回のシミュレーション結果から見出すのは難しい。 分子の数がただ1個なので、隔壁の分布形状は1と2でほとんど違いが見られない。

■ シミュレーション3の場合:
隔壁がワープゾーンを通じて転送されたときの、ボール(気体分子)の分布について考えてみよう。 隔壁が転送されたときには、ボールの速度に変化は無い。 シミュレーション1(断熱条件)と比較して、本来上がるはずのボールの速度は上がらず、本来下がるはずのボールの速度は下がらない。 ここでPV曲線を思い描けば、狭くなった側の部屋の圧力は低く、広くなった側の圧力は高くなっている。 隔壁の転送によってPV曲線の形状に変化が生じるので、転送後の隔壁を中央に押し戻す傾向が消えるのである。 隔壁を中央に押し戻す傾向は、転送前に比べて弱くなるのである。(訂正:2008/01/27)

■ シミュレーション4の場合:
同じことをシミュレーション4について考えてみよう。 シミュレーション4においても3と同様、隔壁が転送されたときにボールの速度変化は無い。 しかし、今度の場合はシミュレーション2(等温条件)と比較して、特にボールの速度が上がったり下がったりする訳ではない。 なぜなら、ボールの速度は「温度」が支配しているからだ。 たとえ隔壁との衝突によってボールの速度が変化したとしても、外壁を通じての熱のやりとりによって、ボールはほどなく元の温度に戻る。 ここでPV曲線を思い描けば、シミュレーション2と4との間には差異が見られない。 隔壁の転送によってPV曲線の形状に変化が生じないので、転送後の隔壁を中央に押し戻す傾向はそのまま保持される。

シミュレーション3(断熱条件)と4(等温条件)の違いは次の通り。

ワープゾーンの導入によって、
  ・シミュレーション3では、シミュレーション1と比べて、PV曲線の形状が変化する。
  ・シミュレーション4では、シミュレーション2と比べて、PV曲線の形状が変化しない。
「隔壁の分布をそのまま変化させずにワープゾーンを設置したならば」、正負の転送に有意な差が生じる。 隔壁は中央付近に位置する確率が高いので、確率の高い中央から確率の低い端への転送が、その逆よりも多く生じる。 これがシミュレーション4の結果である。

断熱条件と等温条件、2つの条件のうち、どちらか一方の正負の転送回数が等しいのであれば、 他方の転送回数に差異が出ることは想像に難くない。 そして、外界から閉ざされている断熱条件で転送回数に差異が出るとは考えにくい。 であれば、等温条件で転送回数に差異が出ることは納得がいくであろう。

さて、もし本当に等温条件下の正負の転送回数に有意な差があったならば、これは重大な事態を引き起こす。 転送が一方向に優位に起こるなら、エネルギーの流れも一方向に優位に起こる。 つまり、シミュレーション4は全体として熱を一方向に流す弁として働くのである。 もし中央から左端への転送が優位に起こったとすれば、左端の反射では壁->ボールのエネルギー移動が優位に起こり、右端の反射ではボール->壁のエネルギー移動が優位となる。 シミュレーション全体で見れば、熱を左から右に移動していることになる。 これで、なぜシミュレーション4の結果がマックスウェルの悪魔となるのか、理由がおわかり頂けたことと思う。

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