第六章 やわらかい分子機械
ゆらぎの利用とは
2006/08/29  

熱ゆらぎを利用するとは、一体どういうことだろうか。

これまでの不確定分子モーターの説明では、熱ゆらぎの他に何のエネルギー供給源も持たない状況を考えていた。 この状況は理論上は単純でわかりやすいが、現実的な場面を想像するとやはり首を傾げざるを得ないところがある。 単に熱ゆらぎが利用可能なエネルギーに転ずるというのであれば、どこか話が上手すぎる。 あまりにも上手いもうけ話の大半が虚偽であるならば、これほど胡散臭い話があるだろうか。
確かに現実の話は机上の空論ほど簡単ではない。 理論上の不確定分子モーターは数多くの仮定と理想化の上に成り立っている。 種明かしをすれば、不確定分子モーターの本質は「摩擦のない車輪の永久回転」と同じだ。 世界全体を1つの巨大な「摩擦のない車輪」に見立て、その中で巧妙にタイミングを見計らいつつ回転を持続させる系を想定したのである。 しかし摩擦のない物体とは、あくまでも実在しない空想の産物に過ぎない。 例えば重力加速度gの下で質量mの物体を高さhまで持ち上げるには、E = mgh だけのエネルギーを必要とすることになっている。 そのように解答しないと物理のテストでバツを食らうのだが、実際に目的の高さまで mgh きっかりのエネルギーで持ち上げることは絶対にできない。 それでも、物理ではまず理想化された極限を考えるのである。 まず理想的な極限値があって、次にその極限を修正しつつ現実にあてはめるというステップを踏む。 なぜこういったステップを踏むのか。 それは、単純化された理想が人間の頭にかかる負担を小さくするからだと私は思っている。 物理の本分は切り捨てることにある。

さて、不確定分子モーターという物理モデルも1つの理想化された極限である。 位置エネルギー mgh と同様、これがそっくりそのまま現実に適用できるわけではない。 現実への第一歩は「熱ゆらぎの他に何のエネルギー供給源も持たない」という前提を突き崩すことにある。 物体を持ち上げるのに要する現実的なエネルギーが mgh + ε であるように、現実的な分子モーターを駆動するエネルギー源は「熱ゆらぎ+他の供給源」となる。 他のエネルギー供給源を認めると不確定分子モーターのありがたみはだいぶ薄れるが、現実味は色濃くなるであろう。 むしろ、従来の常識からすれば次のように考えた方がわかりやすい。 最初に、熱ゆらぎ以外の、ごく普通のエネルギー源を用いて駆動している機械があったとする。 ただ、この機械は分子程度の大きさであって常に熱ゆらぎの攪拌にさらされている。 ここで、機械の設計者としては熱ゆらぎをどのように扱うかの選択を迫られることになる。 即ち

1.熱ゆらぎを邪魔な雑音と見て、できるだけゆらぎの影響を受け付けない「硬い」機械を設計するか、
2.熱ゆらぎを与えられた資源と見て、上手に利用する「やわらかい」機械を設計するか、
である。

我々の有する、現存する大半の機械は1.硬い機械に属する。 大半の機械にとって熱ゆらぎとは迷惑な存在に過ぎない。 現代のテクノロジーの代表例であるコンピューターは、いかに演算装置を冷却するかに腐心している。 また、通信経路に熱雑音が入り込まないように徹底的なシールドを施す。 それというのも、熱ゆらぎというものがそもそも「正しい演算結果を狂わせるもの」だからである。 一方、熱ゆらぎを上手に利用して動作する2.やわらかい機械というものを、我々はまだ本格的に作ったことがない。 なぜなら、我々は熱ゆらぎを利用する方法を未だに知らないからである。 「やわらかい機械」などというものはただの妄想に過ぎない、そんな概念は存在しないのだ、という人もいる。 しかし、生物の有する巧妙な仕組みを見るにつけ、そこには我々の有するテクノロジーとは全く異なる原理が存在するのだと私には思えてならない。
例えば脳というものをコンピューターと比較すれば、両者の差異が浮き彫りにされるであろう。 個々の素子を比べた場合、神経細胞はトランジスタに速度の面で劣る。 素子の数においても、最新のコンピューターのトランジスタ数は脳細胞の数に匹敵するほどになっている。※ しかし、コンピューターは重要なトランジスタ1個が故障すれば全てが失われる。※ 脳細胞は部分的に多少失われても、全体が失われた部分をカバーする。 昆虫の脳は最新型コンピューターより遙かに少ない素子と、遙かに少ないエネルギー消費で、瞬時に高度な判断を行う。 我々のテクノロジーは、まだ昆虫の脳さえ作り出したことがない。 生物の持つ仕組みはコンピューターのように正確無比ではないが、なぜかこちらの方が環境に上手く適合しているように見える。 仮に現代のテクノロジーの粋を集めて作った電子昆虫を山野に放ったとしても、すぐに故障するので使い物にはならないだろう。
我々が生物に学び、未知のテクノロジーである「やわらかい機械」を目指そうとしたとき、最も重要な鍵は何だろうか。 それは「ゆらぎ」であろうと、私は直感する。 むしろコンピューターのように正確無比に動作しないことこそが、生物の持つ重要な秘密につながっているに違いない。

既存のテクノロジーをそのまま応用した分子モーターがあったとすれば、つまり既存のモーターを加工技術だけ高めて極限にまで小さくしたものを制作すれば、その出力は確定的なものとなるであろう。 どれだけのエネルギーをどのタイミングで与えれば、どれだけの大きさの出力が得られるのか、正確に決まったモーターができるだろう。 また、設計者はそのように正確なモーターを目指して設計を進めるであろう。 このような正確なモーターにとって、熱ゆらぎは真にやっかいな障壁となる。 熱ゆらぎが正確な動作を乱すからだ。 硬い機械の場合、出力は「本来あるべき正確な値±ゆらぎの誤差」といった形をとる。 「ゆらぎの誤差」は出力に何の寄与もしていない。 本来であればゼロにもってゆきたい邪魔者である。
一方、熱ゆらぎを利用する見地に立つやわらかい機械の場合、出力はどうなるだろうか。 既存のテクノロジーしか知らない硬い機械の設計者は、ここで困ってしまう。 やわらかい機械は硬い機械と全く異なった発想に基づいているので、既存の知識では手も足も出ない。 ところが、これまで辛抱強く本論を読まれた読者であれば、すぐに答が導き出せるはずだ。 やわらかい機械には、そもそも「本来あるべき正確な値」というものが無い。 出力は「不確定」なのである。 熱ゆらぎが不確定なのだから、出力も不確定だ。 出力が不確定になっている分だけ、熱ゆらぎを利用することが許されているのである。 出力を一種の信号に見立てた場合、出力の有する情報エントロピーの分だけ利用可能なエネルギーを得ることができる。 簡単に言えば「エネルギーがいつ取り出されるかわからない、そのわからない分だけのエネルギーが取り出せる。」 やわらかい機械にとって、出力が不確定であることは積極的な意味を持つ。 なぜなら、熱ゆらぎを確定的な出力に変換する仕組みというものは物理的に存在しないからである。

さて、もし生物が100%完全に熱ゆらぎに依存していたなら、やわらかい機械の動作原理はもっと容易に見抜けたであろうと思うのである。 しかし実際の生物は、一方で化学エネルギーの消費も行いつつ、それと同時に熱ゆらぎを利用するといった方式を採っている。 つまり生物は、硬い機械とやわらかい機械の混合様式なのだ。 実際の生物を扱う難しさがここにも現れている。 それでは、実際の生物はどの程度まで「硬く」、どれほどまでに「やわらかい」のだろうか。 つまり一個の生物の中で、熱ゆらぎに依存している割合はどの程度なのだろうか。 この問に対しては、生体内部の詳細を追わずとも答が導き出せる。 生体の取り入れた化学エネルギーと出力の総和、それと「出力がどれほど不確定か」を測定すればよい。 出力の不確定とは、出力のばらつき、つまり出力の有する情報エントロピーのことである。 これらの値を徹底的に比較すれば、

・「やわらかい機械」は実際に存在するのか、
・それは、これまで説明してきたような「不確定分子モーター」の動作原理によって説明がつくのか、
・「不確定分子モーター」の動作原理を応用した機械の製作は可能なのか、
といった疑問に解答を与えるであろう。 残念ながら、言うは易く行うは難しで、信頼に足るこれらの値が手元に無い。(単に私が知らないだけかもしれないが。) 生体内の挙動を生きたままの姿でとらえるのは非常に難しい、チャレンジングな課題だ。 いま正に行われている、最先端の研究成果に期待したい。

ある特定の機械が熱ゆらぎを利用していたならば、その出力には必ずや不確定な要素が含まれている。 熱ゆらぎを利用して、かつ確定した出力を行う機械は物理的に存在しない。 してみれば、ある機械の入力と、出力の不確定要素を測定すれば、その機械がどれほど熱ゆらぎを利用しているかが判明する。 生体についてこれらの値を測定することは、我々が有していない未知のテクノロジーの鍵となる重要テーマなのである。


少し以前であれば脳細胞の方が断然多かった。この方面の技術の進歩にはすさまじいものがある。 そして少し以前には、素子数が脳細胞を上回れば知能も脳を上回るだろう、といった楽観的な議論がまことしやかに言われたものである。


実はさほど重要ではないメモリーの1素子が故障したとしても、そこだけ回避するといった処置を施すことはできる。 そう考えると現代のコンピューターは素子数こそ莫大になったものの、本質的に重要な部分はさほど進歩していないのかもしれない。
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