第三章 可逆コンピュータからの発想
コンピュータの世界
2006/08/23  

最も古い物理学である古典力学は、ゆらぎ、散逸、不確定性といった「不完全な要素」を含まない、理想的な世界像を描き出した。 物理学の故郷である「天体運動の世界」は、この理想的な世界に近いものの1つである。 天体運動の解析からおよそ250年の後、物理学はもう1つの理想郷を見出すことになる。 それは「コンピュータの世界」である。 「コンピュータの世界」は、古くて新しい。

日常的に手の届く「地上界」の運動が常に不測の事態、偶然、ゆらぎに撹拌されるのに対し、遙かなる「天上界」は予定調和に従って運行する。 天体とコンピュータの第一の共通点は、決定論的であること。 偶然や未知なる要素が全く介在しない、計算通りの世界であることだ。 しかし、偶然や誤差を全く含まない真に計算通りの事象などこの世に在りはしない。 それは天上界が遙かに手の届かぬ理想郷であり、我々の住む地上界が不条理に満ちていることに似ている。

天体とコンピュータの第二の共通点は、過ぎゆく時間の観念を持たないことである。 地上界の運動が常に摩擦、ゆらぎ、散逸の下にすり減ってゆくのに対し、天上界の運動は終わることのない軌跡を描き続ける。 天上の運動が地上と一線を画すのは、それが永久であること、「死なない」ことである。 天体と同様、コンピュータの世界における時間とは1つのパラメータに過ぎない。 そこに、過去から未来へと移りゆく推移の観念は希薄である。

コンピュータに時間の観念が欠けている、と聞かされても納得のいかない方も多いかもしれない。 しかし、確かにコンピュータだけで閉じた世界を形作ったなら、その中に不可逆過程の入り込む余地はないのである。 不可逆過程は、コンピュータの世界が地上界の産物である熱ゆらぎに接したときに初めて生じる。 ここで言うコンピュータとは、正しくは可逆コンピュータのことを指す。 電力を消費し、発熱しながら稼働する実在のコンピュータは不可逆であり、どちらかと言えば地上界に近い。

決定論的な古典力学と実際的な熱・統計力学の間には互いに相容れない相克をはらんでいる。 同様の相克がコンピュータの問題を扱うときにも表れる。 コンピュータの内部は決定論的な力学に従う。 そして決定論的なコンピュータが外界の熱ゆらぎに接するとき、初めて過ぎゆく時間の観念が生じるのである。 物理の中には、純粋に理論と観念だけで完結した領域と、幾分現実的で理詰めでは尽くせない領域がある。 2つの領域を対比させると次の様になるだろう。

「天上界」 「地上界」
純粋、完全、予定調和 不確定、不完全、カオス
古典力学、可逆コンピュータ  熱・統計力学、エントロピー
現実の世界から遠い 現実の世界に近い
理論的に扱い易い 理論的に扱い難い

天上界とは、良く言えば美しく完結した観念の世界であり、悪く言えば「学者さんが考えそうな」幾分現実離れした世界のことだと思えば良い。 ともすると観念的な理屈は、それが観念的だという理由だけで疎んじられる傾向がある。 良くも悪くもコンピュータとは観念の塊の様な代物なので、最初に食わず嫌いを起こすとコンピュータの全てが理解不能となる。 (その意味で向き不向きがあると思う。) コンピュータの理屈にはどうも馴染めないと感じたら、とりあえずこれは「あっちの世界」の話であり、「こっちの世界」に持ってくるには相応の解釈が必要なのだと思って欲しい。

・純粋な理論上のコンピュータは、いわば遠い別世界にあるということ。
・それを身近な世界に落とし込むには、2つの世界間をつなぐ操作が必要となること。

観念的なコンピュータの話を始めるにあたって、以上の点に留意しておいて欲しい。

ページ先頭に戻る▲