序章 甦るMaxwellの悪魔
本論の展望
2006/08/14  

先の要約を読んで、よく分からないことがたくさん出てきたのではないだろうか。
途中の経緯を全て省いて、いきなり結論だけを示したのだから、分からないのが当然かと思う。

「場合の数、と呼んでいたものは何か? 場合の数と呼んでいるものの扱い方があやふやな気がしてならない。」
「本来状態量で議論すべきものを、時間を持ち出して煙に巻いただけのような気がする。」
「不確定で一時的であれば熱力学第二法則に反しない、と主張しているようだが、それはなぜか?」
「時間が大事だと言っているようだが、時間の何が大切なのか、全くイメージが湧かない。」
「既に議論され尽くした、半ば形而上学的な問題を蒸し返しているだけではないのか。」
「生物の中に熱運動を利用する仕組み〜悪魔が住んでいる、というのは本当なのか? 証拠はあるのか?」

これらの疑問については、本論で追々答えていこうと思う。
ここでは本論の展望を兼ねて、おそらく最大の疑問である

「熱運動が利用可能だという、そのアイデアは一体どこから出てきたのか?」
について答えよう。

全てのアイデアは、熱に関する素朴な疑問から始まった。

   STEP1: 運動が摩擦熱に変わることはあっても、その逆が無いのはなぜだろう?

熱とは、ランダムな分子運動の集まりである。 マクロな物体の運動がミクロな分子運動に変わってゆくのは、物理学の解釈によれば、つまるところ確率の問題とされている。※
運動エネルギーを、全ての分子に「えこひいきなく平等に」分配した場合、全ての分子が一丸となってマクロな運動をしているよりも、摩擦熱となってランダムな運動をしていた方が遙かに多くの場合があり得る。 ということは、多数の分子に対して特別な制限なしにエネルギーを与えたとき、結果が熱運動となる確率はマクロな運動となる確率よりも圧倒的に高い。 例えば、マクロな運動をしていたときのエネルギーの分配方法がただの1通りしかなかったときでも、ランダムな熱運動についての分配方法は、それこそ何億、何兆を越えるほどの莫大な数となる。 この圧倒的な数の差は、マクロな物体を構成する分子の数が非常に多いことに由来する。 確率の低いマクロな運動の状態よりも、確率の高い摩擦熱の状態の方が自然な姿であり、物体は放っておけば自然な姿になる・・・

以上が物理学、その中でも統計力学と呼ばれる分野での大雑把な説明である。


   STEP2: 確率の問題なのであれば、ごく僅かな確率で「逆転現象」が起こり得るのだろうか?

ロイヤルストレートフラッシュを引いたり、宝くじを当てたりするのと同じように、ごく希には普通とは逆の現象、摩擦熱が運動に変わるようなことが起こり得るのだろうか?
もちろん確率の数字は、宝くじよりうんと小さいには違いない。 であれば、うんと小さい(分子数の少ない)系を相手にすれば、確率は「ゆらぐ」のではないか? 実際、分子スケールの世界では、熱運動は「ブラウン運動」として観測することができる。 近い将来、分子数個程度の大きさの機械を扱うテクノロジーが確立したときに、確率の大小はもはや絶対的な壁とは言えなくなるだろう。


   STEP3: 果たしてランダムな熱運動を「意のままに」扱うことができるのだろうか?

しかし、たとえ大きさの壁がクリアーできたとしても、避け難い根本的な問題が残されている。 これまでブラウン運動をエネルギー源として利用できた試しがないのは、ブラウン運動がランダムであり、意図した特定の向きに作用させることができなかったからである。
ランダムからオーダーへ、つまりそれは「選択し得る場合の数がたくさんある状態」から「場合の数が少ない状態」を作れるか、という問題である。
答えはNo!
「場合の数を減らす」ことは物理的に不可能だ。 この事実は、古典的な力学の法則を考えれば十分納得できる。 この「場合の数の法則」こそが長年、熱運動が利用不可能とされてきた根本的な理由なのである。


   STEP4: 場合の数を減らす必要はない。時刻がわからない、という状態に持ち込めば。

ここで、本論での最も重要なひらめきが登場する。 運動の場合の数を、時刻の場合の数に置き換える、というアイデアだ。

「時刻がわからない、という状態に持ち込めばランダムな運動を意図した特定の向きに変えることができる」

エネルギーを利用する、という目的に際して「場合の数を減らす」ことは必ずしも必須ではない。 元になる熱運動がN通りの場合の数を持っていたとしても、それをそっくりそのまま「作用する時刻がN通りの、意図した特定の向きに作用するエネルギー」に置き換えることができるはずだ。


   STEP5: アイデアはコンピューターからやってきた

「時刻がわからない・・・」
実は、このアイデアはコンピュータの仕組みを考察することから得られたのである。
「コンピュータで消費する電力を最小限に抑えるにはどうすればよいか?」
この問題については、ランダウアーの原理として知られる以下の答が知られている。
「演算自体は原理的に電力を消費しない。電力を消費するのは、最後にメモリーをクリアーするときである」
私は、この問題について考えを進め、1つの興味深い結論に達した。
「メモリーのクリアーに要する時間の長さを可変にすれば、演算後に残された全ての不要な情報を、発信する時刻が不確定な唯1つのパルス信号に集約することができる。」

コンピュータ上の情報を、時刻が不確定な信号に置き換えることができるなら、同様の方法で、分子運動の情報を作用する時刻が不確定なエネルギーに置き換えることができるだろう・・・ これが私の辿り着いた結論である。

ここで語られるアイデアは、2つの理論の掛け合わせから生まれてきた。
1つは「統計力学」と呼ばれる学問。
もう1つは「情報理論」と呼ばれる、比較的新しい分野。
「不確定分子モーター」は、統計力学を母とし、情報理論を父として生まれてきたのである。


   STEP6: 熱力学第二法則と矛盾しないだろうか?

もし熱運動から利用可能なエネルギーが取り出されるのだとすれば、熱力学第二法則と矛盾が生じないだろうか。 検討したところ、以下の理由によって矛盾は生じないことが分かった。

熱力学第二法則に違反する、物理的に不可能なプロセスとは、「選択し得る場合の数がたくさんある状態」から「場合の数が少ない状態」を作り出すことである。

例えば、右から飛んでくるか左から飛んでくるかわからない分子から(他に何の変化の跡も残さずに)1方向に確定した運動を取り出そうとしても、2通りの状態から1通りの状態を作り出すことになり、矛盾をきたす。 ところが、右から飛んでくるか左から飛んでくるかわからない分子を、「右ならば1秒後に、左ならば2秒後に」1方向に確定した運動に変えたとしても、2通りの状態から2通りの状態を作り出しているので矛盾は無い。 1秒後に運動が得られた場合の世界と、2秒後に運動が得られた場合の世界の、2通りの世界はそれぞれ異なる未来に向かうはずだからだ。

ここで、実際の世界はこの2通りの世界のうちのどちらなのか特定しようとすれば、得られた一方向の運動を何らかの方法で観測する必要がある。 この観測に必要な自由エネルギーは、理論的にはちょうど得られた運動の有するエネルギーに等しくなる。 (実際にはそれ以上のエネルギーを要するだろう。) つまり、この一連のプロセスは世界に対して2通りの不確定な未来を与える代わりに、その不確定な分だけのエネルギーを取り出しているのである。 得られるエネルギーの大きさは、そのエネルギー自身によって世界に引き起こした不確定を(観測等の行為によって)世界からちょうど消し去るのに等しい大きさとなる。

以上の考察を推し進めてゆくと、
「世界の何処かに不確定な要素が残っている限り、その不確定要素に対応するだけのエネルギーを利用することができる」
との結論に達する。 そして、ここで言う不確定要素が減少しない限り、一連のプロセスは熱力学第二法則とは矛盾していないことになる。


   STEP7: この仕組みは実存するのだろうか?

このような巧妙な仕組みがもしあるとすれば、それは生物の世界に見い出されるに違いない。 現時点で確実な証拠ではないが、実は我々の持つ筋肉が熱運動を利用しているのではないかと示唆する報告がある。

もし不確定分子モーターのお手本があるとすれば、それは「生物に学べ」ということに他ならないだろう。

  

「熱運動を利用可能なエネルギーに変える。」
一見するとこれは奇想天外な行為に見える。 しかし統計力学の原理にまで遡って考えれば、ここでの主張は目新しくもなければ奇抜でもない。 私はここで、何か革新的な大発見を披露しているつもりはない。 むしろ自明とも思える、単純な事柄を再確認したに過ぎない。

熱運動する気体分子はなぜ部屋いっぱいに、均一に広がろうとするのか。 それは全く確率の為せる技であって、部屋いっぱいに、均一に広がっている状態の場合の数が、部屋の片隅に集中している場合の数よりも圧倒的に大きいからである。 しかしいかに小さくとも、部屋の片隅に集中している場合の数はゼロではない。 非常に長い時間ひたすら待ち続ければ、気体分子が偶然部屋の片隅に集中することも起こり得るはずだ。
一般的な説明では
・その偶然が生じる確率が非常に小さく、ほとんど0といっても実用上差し支えないこと。
・偶然が起こる瞬間までの待ち時間が、それこそ宇宙の年齢を遙かに上回るほど長くなるので物理的な意味を成さないこと。
などの量的な理由によって、この「小さな偶然」を軽視してきた。

私は統計力学そのものを否定する気はないが、「小さな偶然」について上の一般的な説明とは違った見解を持っている。
「偶然が起こらないのではない。偶然が起こる瞬間がいつになるのか、観測者が知らないことが問題なのだ。」
宇宙の年齢を遙かに上回るほどの長い時間ひたすら待ち続ければ、少なくとも理屈の上では熱運動を利用可能なエネルギーに変えることができる。 この単純な理屈が現実に応用できない理由は、
「宇宙の年齢を上回るほど」といった量の問題
ではなく
「いつ偶然が生じるのか予め言い当てることができない」といった情報の問題
なのだと見抜いたのである。 そして、確率が極端に小さい、待ち時間が極端に長い、といった量の問題は特定の条件下で回避することができる。 すなわち、最初から10の何十乗といった莫大な数の分子を扱うのではなく、ほんの数個程度の、極端な話ただ1個の分子を扱えば量の問題は回避できる。 すると、残された本質的な問題は「いつ偶然が生じるのか予め言い当てることができない」ことだと気付く。 そして、エネルギーの利用という目的からすれば「いつ偶然が生じるのかわからない」ことは致命的でないことにも気付くであろう。

不確定分子モーターの原理そのものは単純明解だ。
「利用できる状態になるまでひたすら待つ。」

・この方法をごく小数の分子に対して用いれば、現実的な待ち時間の内に利用可能なエネルギーが取り出せるということ。
・いつ利用できる状態になるのか分からないので、エネルギーが取り出される時刻が不確定になること。
・時刻が不確定なるが故、この世の情報量が増大することはない。言い換えればエントロピーは減少しないということ。
本論で私が主張したいのは、この3点である。


「運動が摩擦熱に変わることはあっても、その逆が無い」のは経験則であり、なぜかと問われれば「未だかつて誰もその逆を見たことがない」というのがまっとうな答えである。 物理の理論は経験則に基づくのだから、順序から言えば後付けである。 ここでの議論は、もちろん経験に基づく事実の説明ではない。 想像力を逞しくして可能性を探ろうというお話である。
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