Uncertainty Molecular Motor
第七章 ダーウィンの忘れ物
2006/08/29  

「我々はどこから来て、どこに行くのか。」
人が人としての営みを始めて以来、この根元的な問いかけに対して幾多の回答が為されてきた。 科学以前の時代には、神話がその答を与えていた。 今日では、本質的にただ1つの答が科学によって示されている。 それはダーウィンによって示された進化論である。 ダーウィン以来、人類は自然界における自らの位置付けを初めてを知ったと言ってよい。 進化論については今日でも様々な議論が絶えない。 特に遺伝子の発見と分子生物学の進歩によって、進化論自身がダーウィンの頃とは比べようもないほどに進化を遂げている。 それでも「突然変異と自然淘汰」という基本原理はダーウィン以来変わってはいない。 おそらく科学というものが存続する限り、進化論の基本原理は変わらないだろうし、進化論が別の理論に取って代わることもないだろう。

それでは、我々自身の創世と未来について、進化論は完全な回答を与えたのだろうか。 ここから先は、人によって解釈が異なる。 話を科学に限定すれば、進化論とその延長(未来の研究も含む)によって完全な回答が得られることだろう。 そして、科学によってこの世の全てが説明し得ると考えている人にとって、進化論は必要十分であると言える。 しかし、科学だけではこの世の中を完全に説明し尽くすことはできないと考えている人にとって、進化論は十分ではない。 後者のタイプの人は、仮に進化論でなかったとしても、他のいかなる科学的説明を以てしても決して満足することはないだろう。

さて、白状すると私は後者のタイプの人間である。 つまり、科学だけでは全ての物事を説明し尽くせないと考えている。 人として生きて行く上では「科学的な説明」だけでは不十分であり、それ以外の何ものかが必要であろうと思う。

本論の最後にあたって、1つの神話を語ろうと思う。 もちろん私には大それたことを語る資格はない。 かつて神話が与えていたであろう内容のごく一部を、科学的ではない方法によって書き連ねようと思う。

不確定分子モーターは、単に小手先でエネルギーを稼ぎ出すだけのからくりではない。 それはいかに小さくとも、エントロピー増大則という自然界の大原則に初めて異議申し立てを行ったシステムなのである。 不確定分子モーターの話はこれだけで終わるはずもなく、さらにその先に、広大な未知の領域が広がっている。 私にはその全てを語り尽くすことはできない。 せめて私にできることは、未知の大海の浜辺に読者諸兄を案内するところまでである。 未知の大海を前に何かを感じ取ってもらえれば、本論の役目が果たせたものと私は信ずる。

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