第四章 情報エントロピーの力
不確定は保存する
2006/08/24  

「不確定分子モーター」を支える根拠はいったいどのようなものだろうか。 一口に言えば、それは

不確定は保存する
という考え方だ。

物理学において保存量は根幹を成す概念である。 運動量保存則やエネルギー保存則はその最たるものであろう。 ニュートンの第1法則によれば「物体は外力の作用を受けない限り静止または等速直線運動を続ける」とされている。 すでに近代的な物理を知る我々にとって、こんな法則は当然のことと思うかもしれない。 しかし、素朴な自然観からすればこの第1法則はかなり異例の考え方なのではないか。 日常的な常識からすれば、外力の作用を受けない物体は「だんだんに勢いをそがれ、最後には静止する」ものだからである。 この日常的な常識をいったん傍らに置いて、運動とは本来「等速直線運動を続ける」としたところに近代物理学の出発点があったのだ。 例えばアリストテレスの時代に「エネルギーは保存する」と説いたところで、果たしてどれほどの賛同が得られただろうか。 現実に「保存する」運動を示すことは難しい。 極めて精巧な振り子であっても、いつかは止まるではないか。 天体の運動を除けば、あらゆる運動はいずれは止まるのが自然な姿であろう。 物理学以前の人々が完全な天界と不完全な月下界を分けて考えたのも無理からぬ話である。

さて、これから述べる「不確定の保存」の置かれた状況は、かつての運動についての保存則に幾分似ている。 不確定の保存とは、古典力学にシンプルに基づいた概念である。 古典力学において、ただ1つの初期条件から出発した結果はただ1つに決まる。 決して2つ以上に分かれることはないし、その逆に2つ以上の初期条件が同一の結果に帰すことはない。 このことから、N個の初期条件から出発した結果はN個に帰すと言える。 決してN個より多くなることはないし、反対にN個よりも少なくなることもない。 この内容をさらに連続的な位相空間にあてはめたのが、第1章で述べたリュービルの定理である。 こういった定理が知られていることからもわかるように、「不確定の保存」は特に新規なものではない。 むしろ以前からよく知られているごく古典的な概念である。

ところが、実際の自然界においては、異なる初期条件から出発しても最後は同一の結果に帰すような不可逆現象が大半を占める。 確かにエントロピーは増大するのであって、保存はしない。 「不確定の保存」という立場からすると、気持ちの上では「エントロピー保存則」としたいところである。 しかし、エントロピーはもともとマクロな系に対して定義された量であり、保存則とは到底言い難い。 統計力学という学問は、いかにしてミクロな保存則からマクロな増大則を示すか、という命題を掲げている。 マクロな現象についてはそれでよい。 しかしその一方で、ミクロな現象をそのまま扱うには、むしろ古典力学の方が単純明快なのではないか。 分子サイズの機械=ナノマシンは単純に古典力学(あるいは量子力学)に従う、これが不確定分子モーターの根拠となる考え方なのである。

古典力学においては、惑星の運動が最もよく力学の法則を表していた。 これと同じように、不確定の保存を最もよく表すモデルがある。 それは可逆コンピュータの演算である。 コンピュータとは、元来1つの初期状態からただ1つの結果を生む、最も典型的な例であろう。 古典力学では、惑星の運動を支配する法則がそのまま地上の全ての物体にあてはまると考えた。 同じように、不確定の保存というルールはコンピュータの上だけでなく、全ての物理現象にあてはまると見なせないだろうか。
  「世界とは一種の巨大なコンピュータであり、あらゆる物理現象は情報処理のプロセスである。」
これは極端な見解かもしれないが、物理に基づいて考える限りさほど荒唐無稽な世界観というわけでもない。

さて、不確定分子モーターの考え方を理解するには、次の設問に答えるのが最も手っ取り早い。
  「コンピュータの上で真の乱数が作れるだろうか?」
コンピュータの上で、同一のプログラムを走らせれば必ず同一の結果が得られる。 この意味で、全く結果の予測がつかない(同じ結果を再現しない)プログラムは存在しない。 少なくとも、その数字列を生み出したプログラムという規則には従っている。 それゆえプログラムのみによって生成される乱数は全て「疑似乱数」なのである。 例えば、手軽で広く普及している(が、あまり質が良くないと言われている)乱数生成方法に線形合同法がある。 合同線形法で乱数Xを作る手順は次の通りだ。

X[n] = (A * X[n-1] + C) mod M
ある数XをA倍して、それにCを足したものをMで割って、その余りを次の数Xにする。 A,C,Mに十分大きい適当な数を設定すれば、それなりに乱数らしい数列が生成される。 しかし、この式の存在からも明らかなように、この数列は式に表された通りの規則に従っているのである。 例えばこの乱数を使ってコンピュータ・ゲームを作った場合、1回目にプレイする状況と2回目にプレイする状況は全く同じものになってしまう。 実際のコンピュータ上で乱数を使用するには、毎回同じ状況にならないようにランダムシードを取り込む必要がある。 ランダムシードとは、コンピュータのアルゴリズム以外の場所から取り入れる「乱数の初期値」のことである。 よく使われるランダムシードに時計から取得した現在時刻がある。 ランダムシードを取り入れることによって、異なる時刻に開始したゲームは異なる状況からスタートすることになる。

さてここで、コンピュータが乱数を出力するように、ある装置がランダムなエネルギーを出力するという状況を考えて欲しい。 そして、コンピュータと同じように「ランダムな出力を行うためには何が必要か」ということを考えて欲しいのである。 現実の状況において、我々はランダムな出力を得るために特に努力を払ったりはしない。 むしろ、いかにして出力からランダムな成分を取り除くかに腐心するのが常であろう。 なぜなら現実の装置は常に何らかの不完全性や雑音にさらされているからである。 しかし、原理的に考えるならランダムな出力を行う装置を作成するのはむしろ難しい。 というのは、機械とは機械的に動作するが故に、定まった入力からは定まった出力しか得られないからである。 (余談だが、機械に比べて人間は間違うので困ると言われるが、意図的に間違いを犯す機械を作るのは非常に難しい。) コンピュータの乱数のたとえからも分かるように、ランダムな出力を行う装置にはランダムシードが不可欠なのである。 それでは、エネルギーを出力する装置におけるランダムシードとは一体何を指すのだろうか。 それは「熱ゆらぎ」のことである。 ランダムな出力を行う装置は必然的に熱を取り込まざるを得ないのだ。 ここにおいてランダムの収支決算、即ち「不確定の保存」の概念がものを言う。 いま、ある装置がランダムにエネルギーを出力するという状況があったとする。 あるいは出力の中にランダムな成分が混じっている、という状況でもよいだろう。 そのランダムな成分を出力するためには、装置は外部からランダムな成分、即ち熱を取り入れる必要がある。 もし「不確定が保存」するのであれば、取り入れる熱が持つ不確定な要素と、装置の出力に含まれるランダムな成分は等しくなるはずだ。 ここで言う「不確定な要素」「ランダムな成分」とは、即ち熱エントロピー、情報エントロピーのことである。 また、装置は不確定を保存するばかりでなく、エネルギーも保存しなければならない。 つまり、取り入れた熱エネルギーは出力として放出しなければならない。 かくして、熱と同じだけの「不確定な要素」を出力する装置というものが考えられるのである。

以上の様に「不確定なエネルギーを出力する装置はどのような要件を満たさねばならないか」と考え進めれば、自ずと不確定分子モーターの輪郭が浮かび上がる。 これまで「熱を利用可能なエネルギーに変えるにはどのようにすればよいか」を考えてきたが、逆のアプローチから入った方がむしろ明快であろう。

ところで、大抵の事象はほんのささいなきっかけによって、その後の結果が大きく食い違ってくることが多い。 直感に従うなら、最初にほんのわずかのランダムシードさえあれば、それが元になって不確定な要素はどんどん増えてゆくのではないだろうか。 コンピュータの乱数列とて、ランダムシードを導入するのは最初の1回きりである。 量を問題にするならば、不確定な要素は増大するのが自然であり、「保存する」という考えはおかしいのではないか。 確かに「不確定の保存」という考え方には直感に反するところがある。 しかし、仮にほんのわずかのランダムシードによって結果を大きく左右することができたとすれば、物理的に不合理が生じるのである。 もし、ほんのわずかの違いを大きな結果の違いに変換する現象があったとすれば、その現象を利用した「信号の増幅装置」ができるであろう。 この増幅装置を使って、ほんのわずかのエネルギーに大量の信号を乗せた通信が行えるはずだ。 一定量の信号を伝達するのに必要なエネルギーはいくらでも小さくすることができるので、結局それは第二種永久機関(エントロピーの減少)につながることになる。 なので、「不確定の保存」を認めた方が物理的な矛盾は少ないのである。 コンピュータ上の乱数列についても、コンピュータ全体が取り得る場合の数は取り入れたランダムシードのみによって決まる。 その後に発する、一見するとランダムに見える「乱数列」は、それ以前の項によって決定されている疑似乱数に過ぎない。

また、上に「ランダムな出力を行う装置は必然的に熱を取り込まざるを得ない」と書いたが、そこに例外はないのだろうか。 熱揺らぎの影響を受けてランダムな出力をしつつも、エネルギーは取り込まない装置というものも考えられるのではないか。 たとえば、外界の熱揺らぎに合わせて隔壁が出たり入ったりする経路を想定する。 その経路にボールを転がせば、隔壁がない場合には通過し、隔壁がある場合には通過できないため、ボールの運動は熱揺らぎに合わせたランダムなものとなる。 しかし、ボールは熱ゆらぎから直接エネルギーを受け取った訳ではない。 なので、熱揺らぎからエネルギーを受け取らずとも、不確定な要素だけを受け取ることはあり得るのではないか。 この場合、確かにボールの運動自体はランダムになるが、その一方で「熱揺らぎとボールの運動は連動している」という新たな情報を生み出すことになる。 ボールが通過したか、通過しなかったかの結果によって、元になった熱運動がどのようなものであったを(原理的には)ある程度言い当てることができるようになる。 ボールの運動が2通りに分かれてしまったという不確定要素と、ボールによってもたらされた熱運動に関する情報は、情報量の大きさから言えばちょうど打ち消し会うだけの重みを持つ。 それゆえ、ここで考えたような「熱揺らぎからエネルギーを受け取らず、不確定な要素だけを取得する装置」によって、世界全体の不確定要素を増大することはできないのである。

不確定分子モーターが成立するか否かは、つまるところ「不確定の保存」という考え方が正しいか、間違っているかという議論になるかと思う。 私は統計力学が間違っているとは言わないし、マクロな世界でのエントロピー増大則を否定しようとも思わない。 しかし、マクロな世界とは別に、ミクロな世界でシンプルな力学法則に従うような機械が体現できてもよいのではないか。 それこそがマックスウェルの悪魔であり、私が想像を膨らませる不確定分子モーターなのである。


真の乱数の問題は奥深い。実は、ランダムシードを導入することなく、純粋に数学的な手続きのみによって「真の乱数」が作れるのだ。G.W.チャイティン著「数学の限界」という本を見よ。


不確定の保存は、近年流行の「カオス」や「非線形」に比べれば稚拙に思えるほどの古くさい概念である。 しかし、古くさいことと間違っていることは同じではない。
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