第二章 1分子気体パズルに挑む
試行錯誤その3 〜 奇跡を捕まえる装置
2006/08/22  

これまで悪魔の装置への挑戦を”シラードの悪魔”のようなからくりから始めて幾つか試みてきた。 が、第二種永久機関という大テーマは小手先の技工やテクニックでどうにかなるものではないようだ。 ここで、いま一度基本に返って、0から悪魔の装置の設計図を練り直してみよう。

「ものが勝手に増えたり減ったりしない」「無から有は生じない」この事実は日常の経験に照らし合わせても素直に納得がゆく。 空の帽子の中から鳩が出てくるのはむしろ不思議なことで、空はいつまでたっても空なのが本来である。 この当然の事実に”質量保存則”とか”エネルギー保存則”とか仰々しい名前で呼んだところで、「何をいまさら」と思うのがむしろ自然な感覚であろう。
  「エネルギーを無から作り出すことはできない」
第一種永久機関が不可能だと宣言されても、大抵の人は素直に納得する。 これは「エネルギーは一定」という概念が日常経験に合致するからである。

ところが、これが第二種永久機関となると「経験に照らし合わせて明らかに納得」できるだろうか。 第二種永久機関というのは「無からエネルギーを作り出す」ものではなくて「一度使ったエネルギーを再利用する」ものだ。 第二種永久機関が不可能な理由は「エントロピーが増加するからだ」と言われる。 エントロピーとは、”乱雑さ”の度合い、例えば”部屋の散らかり具合”のようなもので、放っておけば(誰も掃除をしなければ)部屋が散らかってゆくのと同じように、エネルギーも放っておけば良質なものから悪質なものに変化するのだと言われる。 しかし、この説明は第一種永久機関の場合ほど自明とは思えない。 部屋が散らかるのなら片付ければ良いではないか。 日常経験に照らし合わせて考えると、ものを乱雑に配置するか秩序だてて置くかはむしろ管理する人の問題で、あまり自然の法則に関係するとは思えない。 極限の世界では日常経験があてにならないこともある。 分子や原子が活躍するミクロの世界では日常経験でものをいっても意味がないかもしれない。 そこで、たとえ話などではなく、エントロピーの中身を詳しくひもといてみると「エントロピーの増大」とはどうやら確率の問題らしい。 早い話、ロイヤルストレートフラッシュがなかなか出ないのと同じ理由で、エントロピーは増大するものらしい。 しかし、卑しくも自然の法則を名乗ろうとするものが「確率」などといういいかげんな根拠の上に成り立っていてもよいものか。 ロイヤルストレートフラッシュだってたまには出るではないか。 ということはエントロピー増大則もたまには破れるということなのか。 ならば、第二種永久機関だってたまにはできたっていいじゃないか。 納得できるかできないかは結局のところ個人の問題だが、第一種永久機関に比べて第二種永久機関はかなり納得しずらいと感じるのは私だけであろうか。 上記のような疑問は、まっとうに熱統計力学を勉強すれば、むしろ当然出てくると思うのだが・・・。

もし第二種永久機関ができる可能性が残されているとすれば、それは「ごく稀に出るロイヤルストレートフラッシュをつかまえる」以外にはないであろう。 このような”奇跡”をとらえたとしても、それは「エントロピー増大則」に違反したことにはならない。 何せエントロピー増大則は”確率”なのだから、確率の低い状態が絶対にありえないとは言っていない。 赤絵の具と青絵の具を混ぜると紫になるが、紫をどれほどかき混ぜたところでもとの赤と青には戻らない。 なぜか。 それは赤と青が分離しているのが1通りなのに対して、2つが混ざって紫になっている状態はミクロに見れば何通りもの〜10の何十乗通りといった膨大な〜状態があるからだ。 だから、絵の具は確率的に99.999・・・%は紫になっていることだろう。 しかし、絵の具は0.000・・・01%の確率で赤と青に分離しているのだとも言える。 とにかく0%ではない。 辛抱強くひたすらひたすら絵の具を混ぜていれば、いつかは”奇跡の瞬間”に巡り合えるかもしれない。 絵の具は手で混ぜねばならないが、熱運動する分子なら勝手に混ざってくれる。 空気中の酸素と窒素は大抵は均一に混じっているが、ひょっとするとごく小さい確率で2つに分離するかもしれない。 2種の気体が分離する所を見るには、とにかくひたすら長い間待つだけでよい。 どの位待てばよいのか。 気体分子は標準状態で1リットルに2.7*10の22乗個程入っている。 このうちの1/5の酸素分子が秒速500mで跳ね回っていたすれば、一辺10cmの箱の中を1秒あたり5万回行ったり来たりできるわけだ。 ただ1個だけの分子が箱の右1/5に収まるのを見るには1/50000秒待てばよさそうだが、(2.7)*10の22乗個の分子が一斉に箱の右1/5に入るには、(1/5)^(2.7)*10の22乗、つまり(1/5)*(1/5)*(1/5)*・・・を(2.7)*10の22乗繰り返す、という非常に小さい確率になる。 これは小数点以下の0の数が10の何十乗という数、10^(−0.7*(10^22))で、(まともに計算するのもばからしい、憶とか兆とかをはるかに越えている)いかに1/50000秒が短くともこの膨大な数にとっては焼け石に水だ。 地球ができてから今までざっと50憶年と言われているが、50憶年=157788兆秒で、たかだか10の17乗程度、分子の数の10の22乗すら下回る。 地球ができてから今までを何百回、何千回と繰り返さなければ”奇跡”は起こらないわけで、なるほど確かに”奇跡”と呼ぶに値する。

大抵の人は、10の何十乗といった天文学的な数値をつきつけられれば納得せざるを得ないだろう。 「熱統計力学は10の何十乗といった膨大な数の分子を扱う。この位膨大な数になると”確率”は絶対的な意味を持つ。」 しかし、しかしまだ疑問は残る。 確かに膨大な数の分子を相手にした場合は”奇跡”を望むのは無理かもしれない。 それならば、ごく少数の分子を相手にすれば”確率”はゆらぐのではないか。 例えば、1リットルの空間の中にただ1個だけの酸素分子と4個の窒素分子しかなければ、(1/5)*4*(4/5)=約8%程度の確率で酸素と窒素は分離する。 分子が1/50000秒程度で部屋を横切ることを考えれば、我々は1秒に数千回もの”奇跡”にお目にかかれるわけだ。 数千憶年待たねばならないとか、千分の一秒で済むといった議論は「量」の問題であって「質」の問題と違うのではないだろうか。 熱統計力学というのは膨大な数の集団を扱う学問である。 1個2個の分子の挙動を問題にする学問ではない。 しかし、いま我々が知りたいのは「第二種永久機関ができるかどうか」であって「熱統計力学という学問がどうなっているか」ではない。 もし少数の分子で”奇跡”を見ることができるのなら、過去の人間が築いた学問がどうであれ、少数の分子によって第二種永久機関ができる可能性が残されていることになる。

実際に、ごく少数の分子による”奇跡”を見た人はいるのだろうか。 答はYesである。 1リットルの空間に3*10^22個の気体分子があるからといって、10の22乗分の1リットルの中に常に3個の分子があるとは限らない。 3個のこともあれば、たまたま2個のことも、5個のことも、全く空だということもあるだろう。 ”平均すれば”3個なのだが、個々に調べた値にはばらつきがある。 平均して気温20度の部屋も、ある一点の温度を精密に計れば19.9999度だったり、20.0001度だったりする。 これが「ゆらぎ」という現象だ。 マクロな目で平均値を見れば一定に見えるものもミクロな目で詳しく見ると常に変動している、この変動こそが”小さな奇跡”の現われなのである。

我々はいつでも、ゆらぎという現象を通じて”小さな奇跡”を見ることができる。 それでは次に、この”奇跡”を捕まえることはできないものかどうか考えてみよう。 例えば平均気温20度の部屋で、ある一点の温度がたまたま20.01度になったとしよう。 この瞬間を逃さずに、たまたま高温となった小さな空間を囲って保持する。 同様に、温度が19.99度以下になったら、これも囲んで保持する。 これを繰り返せば、いつしか部屋全体は20.01度以上の囲みと、19.99度以下の囲みの集まりで埋め尽くされることだろう。

ここで、20.01度以上の高温の囲み同志を集め、19.99度以下の低温の囲み同志を集めれば、最終的に均一な温度の中から高温と低温を作り出したことになるであろう。 ゆらぎが存在すのは疑いのない事実だ。 しかし、ゆらぎの中から極端に大きなもの〜10の何十乗もの分子が全て部屋の右半分に偏るとか、部屋全体の温度が一斉に平均値から100度もずれるとか、こういった”奇跡”をただ待っていたのでは、それこそ数十憶年かけても実現できない。 我々はそんなに長い時間待つわけにはいかないので、短い時間内に実現できる”小さい範囲の小さな奇跡”で満足する他はない。 でも、それで充分だ。 小さな奇跡を集めれば大きな奇跡となる。 「ゆらぎを集める」この方法なら一見すると熱力学第二法則に違反していないように思える。 たとえ小さな確率でしか起こらないことでも、実際に起こってしまえば100%だ。 小さな奇跡は、ゆらぎはいつでも起こっている。 ただ、今まで誰もそれを利用しなかっただけなのではないだろうか。

「ゆらぎを集める」ことが本当に可能なのかどうか、もう少し単純化したモデルで考察しよう。 最も単純なケースとして、部屋の中に気体分子が1個だけ入っていることを考える。 次に、部屋の温度を考えてもよいのだが、ここではもっと直接的にこの1個の分子を直接捕まえることを考えよう。 この分子を、能動的にマジックハンドか何かで捕まえようとしても無駄な(エネルギーがかかり過ぎる)ことは前節までで学んだ通りだ。 今回は受動的に、罠を仕掛けておいて向こうから飛んでくるのをひたすら待つ。 分子という名のねずみを捕まえるねずみ取りを仕掛けるのだと思えばよい。 この”分子ねずみ取り”の仕掛けと”ゆらぎ”にはどのような関連があるのだろうか。 ”分子ねずみ取り”は分子数のゆらぎを捕まえる装置なのだ。 (気体という見方をすれば圧力のゆらぎを捕まえる装置) 分子は全部で1個しかないのだから、ねずみ取り近辺の空間に含まれる分子数は、平均で0.xx個となる。 例えばねずみ取りの大きさ(体積)が部屋全体の1/10だとすれば、ねずみ取りには平均で0.1個の分子が入っていることになる。 しかし分子は分割できないので、実際のねずみ取りの中の分子数は0個か1個かのどちらしかない。 ねずみ取りの中に分子1個が入っていたとすれば、平均値0.1個からのずれ0.9個が分子数のゆらぎであると言えるだろう。 ねずみ取り本体は、基本的には本物のねずみ取りを分子の大きさに縮小したものである。 最初入口の蓋は開いているのですが、中に分子が飛び込んできて内壁に触れると入口の蓋が閉じて、見事分子を捕獲するという仕掛けだ。 蓋を閉じるという作業にはエネルギーが必要となる。 本物のねずみ取りをセットすることを想像してみるとよい。 最初に蓋をカシャンと持ち上げるときに、我々の手によってねずみ取り内部のバネにエネルギーを蓄えるであろう。 蓋を閉ざしてねずみが逃げないようにおさえているのは、このバネに蓄えられたエネルギーなのである。 ねずみ取りと言えどもエネルギー0で働くわけではない。 ただ、最初に一定のエネルギーさえバネに与えておけば、あとは放っておいても構わないのがねずみ取りの良い所だ。 ねずみ取りに費やすエネルギーは一定値である。 一方、ねずみを〜分子を捕まえた後で、そこから得られるエネルギーは(部屋全体の広さ:ねずみ取りの大きさ)の比率で決まる。 より広い部屋でねずみを捕まえた方が、より大きなエネルギーが得られることになる。 確かに、部屋が広ければ広いほどねずみを捕まえるまでの時間はかかるだろう。 (大きな部屋の中から分子を見つけだすのは、それだけ”大きな奇跡”だということだ。) しかし、部屋が広かろうが狭かろうがねずみ取り本体は変わらない。 ねずみ取り自身のエネルギーを回収できる程度に広く、かといって天文学的な待ち時間にならないように適当な大きさに部屋を設定すれば、この「分子ねずみ取り装置」を用いてエネルギーを取り出すことができるのではないか。

今回の「分子ねずみ取り装置」はエントロピーの基本にたちかえり、じっくり考え直したものだ。 従来熱統計力学が無視してきたような小さな確率で実現する状態を、取り出して、捕まえたら第二種永久機関にならないのだろうか。

これに対する第一の反論「小さな確率というのは本当に10の何十乗といった小さな確率で、現実に実現するまで待つことはできない」にはすでに答えた。 確率が10の何十乗にもなってしまうのは10の何十乗個もの分子を扱うからで、始めから1〜2個の分子を扱えば何の問題もない。

そこで第二の反論「分子が1個だけというのは特種な状況だ。少なくとも複数個の分子を扱わないと意味を持たないのではないか。」 確かにシラードの悪魔から始まって、気体と言いながら箱の中に分子1個だけという特種な状況を扱ってきた。 しかし、分子1個というのは決して特殊なケースではなく、一般的な場合を内包しているのである。 例えば、2個の分子が同時に部屋の右半分に入る確率は1/4だが、これを1個の分子が部屋の右側1/4に入るという状況に置き換えて考えることができる。 さらに一般的に考えるなら、複数の分子を1章で紹介した状態空間上の一点としてとらえ、この点が状態空間上のある指定した領域(ねずみ取りの中)に入ったら所定の動作を行なう(蓋が閉じる)とすればよい。 分子1個だけだからとか、ねずみ取りだからといって一般性を欠いているわけではない。 単純化されたたとえ話であっても、そこに含まれる原理は汲み取る価値がある。

分子大のねずみ取りを作成すれば、確かに分子を捕まえることができる、ここまでは間違いない。 今度こそ本当の永久機関の原理にたどり付いたのだろうか。 ここで、永久機関の嘘を見破る法「逆転の発想〜装置を逆向きに動かしてみる」を適応してみよう。 ねずみ取りを逆向きに動かす、とはどういうことだろうか。 それは「ねずみ取りの蓋が偶然開いて、ねずみ(分子)が外に逃げ出す」ということだ。 分子ねずみ取りの蓋も熱ゆらぎにさらされている。 蓋を閉じるのに使ったエネルギーは外界に捨て去るしかない。 ここで(エネルギーを捨てる出口の部分で)、蓋は外界の熱ゆらぎに接してしまう。 熱ゆらぎの影響を受けるということは、ゆらぎの力によって閉じていた蓋が逆に開いてしまう可能性があるということだ。 確かにねずみ取りは、ある一定時間以上待てばほぼ確実に(これも確率だが)分子を捕まえることができる。 しかし、そこから先の時間ずっと分子を捕まえ続けていられる保証がない。 分子が逃げ出すことがあるとすると、ねずみ取りを回収したとき中に確実に分子が入っているかどうか分からなくなる。 分子が中に入っているかいるか否かは、結局確率の問題となってしまうのである。
分子がねずみ取りから逃げ出す確率は何で決まるのだろうか。 それはねずみ取りの入口を閉じるバネの強さ〜つまりねずみ取りに費やすエネルギーによって決まる。 より強いバネ、より大きなエネルギーを投じればそれだけ分子は逃げ出しにくくなるが、費やしたエネルギーを回収するのがより困難になる。 より大きなエネルギーを回収するにはより大きな部屋にねずみ取りを設置するしかない。 しかし分子が逃げ出すことを考慮すると、部屋が広ければ広いほど分子は捕まりにくい〜ねずみ取りの中に入っている確率は下がることになる。 本物のねずみ取りを想像すると「部屋が広かろうが狭かろうがねずみ取り本体は変わらないので、捕獲する能力はいっしょ」と思うかもしれないが、分子のねずみ取りは「部屋が広いほど捕まえにくい」のである。 分子を捕える確率を上げようとすると、より大きなエネルギーを投じるか、部屋を狭くするしかない。 そのどちらを行なっても得られるエネルギーは小さくなってしまう・・・。 こんなわけで、分子ねずみ取りも残念ながら永久機関には成り得ない。

少し上に書いた「小さな空間を囲ってキープする装置」〜気温20度の部屋の中から、20.01度になった部分を取り出す装置〜も、分子ねずみ取りと同様の理由で不可能である。 ゆらぎによって温度が高くなった部分のみを囲うことは不可能ではない。 しかし、それを保持し続けることができないのである。

「”分子ねずみ取り”とか”囲いこみ装置”とか妙なものを考えやがって、あまりにも現実離れしていて無意味だ」と感じている読者諸兄に、現実にこういう装置がある、といったら驚くだろうか。 現実に極細の針金でできたねずみ取りがあるというのではない。 何のことはない、ある種の化学反応が”分子ねずみ取り”と同じことをやっているというだけの話だ。 例えば、固体表面に分子が吸着する反応は、固体というねずみ取りに分子が捕まるのと同じことだ。 ねずみ取りのバネの強さ=吸着エネルギー、部屋の広さ=分子の濃度、に相当する。 吸着反応は必ずしもくっつくばかりではなく、熱でゆさぶってやれば逆の解離反応も起こる。 くっついている分子と逃げている(離れている)分子の割合は、熱力学から予想される値と一致する。 決して永久機関にはならない。 さらに、たとえ分子が1個だけであっても、その分子の挙動〜例えば分子がくっついている時間と逃げている時間の比率〜は熱統計力学に従う。 本章の途中で「分子がたくさんなら確率は成り立つ、少数の場合はあやしい」といったような議論があったが、これは結局は不毛な議論だ。 分子が多数だろうと少数だろうと、又、ねずみ取りのような仮想的な話だろうと現実的な化学実験だろうと、分子のふるまいは理論から導かれた確率に一致するというのが結論である。

こうして検証してみると、熱統計力学に穴はなしとの感を深めるしかない。 間違っていることがあるとすれば、それは学ぶ者の誤解に負うものがほとんどなのではないだろうか。 そして、熱統計力学が完璧なのだとすれば、悪魔の装置の設計などあきらめた方がよいのではなかろうか。

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