第一章 なぜ永久機関は実現不可能なのか
位相空間上の流れ 〜 リュービル(Liouville)の定理
2006/08/21  

「位相空間」とは、空間内の一点一点が世界の状態の1つ1つに対応しているモデルのことであった。 もし現在の世界がこの位相空間内のどの一点であるかズバリ特定できれば、それは世界の「全てを」知ったことと同じである。 もちろん我々は世界の全てを知っているわけではないので、一点を指し示すことはできない。 しかし我々は世界について全く無知というわけでもない。 現在世界がどうなっているのか、ある程度までは特定することができるであろう。 「ある程度知っている」ということは、位相空間上では「ある範囲を特定できる」ということだ。 つまり我々の持つ知識は、位相空間上での領域によって表すことができるのである。 狭い領域を特定できるほど「良く知っている」ことになり、広い範囲しかわからないのであれば「あまり良く知らない」ことになる。 世界についてある程度しか知り得ない我々の目から見た世界観は、位相空間内の一本の糸というよりも、むしろかなりの幅を持った川の流れに近いものなのである。

因果律の考え方とは「1つの原因(初期条件)からはただ1つの結果が得られる」というものだった。 もし、最初の原因となる状態が2種類考えられて、そのどちらであるかわからなかったとすれば、原因に対応する結果も2種類得られることになる。 位相空間上のある一点は、時間経過に伴って一本の軌跡を描く。 位相空間上の異なる2点を出発点に選べば、時間経過に伴って決して交わることのない2本の軌跡が描かれる。(最初から同一軌跡上の2点を選んだ場合を除く) 3点なら3本の、100点なら100本の軌跡が描かれることになる。 ならば、いま位相空間内のある領域内をびっしりと埋め尽くすように点を打ったとしよう。 この点の集まりは時間と共に移動するが、点の数は変わらない。 このことから、位相空間内の領域は形は変われどその体積は一定だろうという予測が成り立つ。 ただ、この予測はびっしり打った点と点の間隔、つまり密度が一定という前提がなければ成立しない。 やみくもに世界の状況を数字に置き換えても「点の密度が一定」という条件は成り立たたないであろう。 幸いなことに、分子の運動だけを問題にするのであれば、上手く変数を選んで「点の密度一定」の条件を満たす方法がある。 具体的には分子の位置と、運動量=質量x速度を座標軸の変数に用いるのである。

「位置と運動量で張った位相空間上では、特定の領域の体積は一定に保たれる。」 このことは「リュービルの定理」と呼ばれている。 リュービルの定理を、まずは簡単なケースで確かめてみよう。 (リュービルの定理という結果だけを知ればよいというのであれば、以下は読み飛ばしても構わない。)

最も次元数の少ない、位置が一次元、運動量が一次元の空間、つまり位置x運動量の平面を考える。 この平面上の同一の位置から、運動量が異なる2つの質点が運動を開始したとしよう。 2つの質点には何の外力も加わらず、等速直線運動を行うものとする。 平面上に1秒後(1単位時間後)、2秒後、3秒後の点を順次プロットする。 2つの質点の1秒後と2秒後の、合計4つの点を囲んで四角形を作る。 同様にして、N秒後とN+1秒後の4点を囲んで四角形を作る。 1秒後とN秒後の2つの四角形を比べると、形は歪んでいるものの、面積は同じであることが見てとれるだろう。 なぜなら、これらの四角形の2つの辺は位置の軸に平行で、それぞれの長さは質点の速度なので等しいからである。

次に、この平面上のどこか一カ所、位置X1の所に急な下り坂、つまりポテンシャルの急激な変化点があって、そこを通過した質点は一様に加速されるものとしよう。 簡単のため、2つの質点の質量は全く同じでm、速度は一方がv1、もう一方がv1よりほんの少しだけ速い(v1+Δ)だったとする。 2つの質点がX1を通過して、同じ大きさのエネルギーEだけの勢いを得たとする。 速度v1の質点がv1'に加速したとき、(v1+Δ)の方の質点はどの程度加速されるだろうか。 運動エネルギー E = 1/2 m v^2 のグラフの上で考えると、速度の「伸び」はグラフの傾きの逆数で表われていることが分かる。 グラフの傾きとは微分のことだから dE/dv = m v 、この逆数ということは dv / dE = 1 /m v 、つまり速度の「伸び」は速度そのものに反比例する。 ということは、位置x運動量平面で v1 と (v1+Δ) の質点によって作られた四角形が X1 のポテンシャルの下り坂を通過すると、速度が伸びた分だけ速度の差Δは縮むことになる。 (位置が横軸、運動量が縦軸なら、横に伸びて縦に縮む。) 結局、速度x運動量の面積は、坂を下っても変わらない。 以上は最も単純なケースだったが、これだけでも「横(位置)方向の伸び」と「縦(運動量)方向の伸び」について、面積が一定に保たれることが確認できたであろう。

もう少し一般性のある説明は次のようになる。 まず下準備として、ニュートンの運動方程式を、位置と運動量の2つの変数が扱い易い形に直しておく。 運動方程式

F = m d^2x / dt^2
に運動量pを導入して、以下の2つの式に書き換える。
p = m v = m dx / dt F = dp / dt
外力が作用しない体系において、力Fとは何かを考えると、それはポテンシャルから受ける力ということになる。 要は、上り坂では進行方向と逆の力が、下り坂では進行方向に沿った力が働くということだ。 力Fはポテンシャルの傾きに比例している。 ポテンシャルをU(x)、ポテンシャルの傾きを∇U(x)とすれば、
F = -∇U(x)
(∇ナブラは微分演算子。簡単に言えばxの傾きを表すもの。
 3次元空間 (x, y, z) の場合、∇ = (∂/∂x, ∂/∂y, ∂/∂z) 。
 本文中の記号xは、(x, y, z)をまとめて x 一文字で表していることに注意。)
なぜマイナスが付くかというと、上り坂(プラス)のときに逆向き(マイナス)の力が働くからである。 体系の持つ全エネルギーをHで表すと、
H = 運動エネルギー+位置エネルギー
 = 1/(2 m) p^2 + U(x) (エネルギーをEと書かずにHと書いたのには意味がある。その意味については後ほど述べる。)
H をpで微分したものを考えると
dH / dp = 1/m p = dx / dt
H をxで微分したものを考えると
dH / dx = U(x)の傾き = ∇U(x) = - dp / dt
結局のところ、ニュートンの運動方程式は以下の2つの式に書き換えられたことになる。
dH / dp = dx / dt
dH / dx = - dp / dt
この2式のことを Hamiltonの正準方程式と言う。 Hamiltonの正準方程式の物理的な意味は、ニュートンの運動方程式と全く同じである。 ただ、Hamiltonの正準方程式は位置と運動量についての2本の式なので、そのままで位相空間に適用しやすい形となっている。

さて、位相空間内にびっしりと打った点の群の運動は、時の流れに従ってその形と位置を変える一種の「流体」と見なすことができる。 この流体のことを「位相流体」と呼ぼう。 位相空間上での領域の体積が変わらないということは、位相流体の密度が変わらないということ、つまり位相流体の「湧き出し」が0であることと同じである。 位相空間上の小さな範囲を考え、そこに入ってくる流体の量と出て行く流体の量が等しければ「湧き出し=0」だと言える。 「湧き出し」のことをベクトル解析では div という記号を用いて表現し、具体的には次のような計算を行う。

div V = dV /dx + dV / dy + dV / dz   (Vはx,y,zの3次元空間上のベクトル)
一般的なi次元の座標上では次の様になる。
div V = Σ[i] dV / d Xi
それでは、位相流体の「湧き出し」を式に表してみよう。
div ( 位相流体 )
= d(xの速度) / dx + d(pの速度) / dp
  ※ 日本語が少し変かもしれないが、正しい意味は次の式の通り。
= d/dx (dx/dt) + d/dp (dp/dt)
ここで、先のHamiltonの正準方程式を代入すると、
= d/dx (dH / dp ) + d/dp ( - dH / dx )
= 0
確かに湧き出しは0であり、位相流体の密度が増えたり減ったりしないことが確認された。

以上のリュービルの定理の説明で扱った運動は、質点の並進だけであった。 一般的な分子の運動には、回転運動、振動運動などもあるだろう。 実は、並進以外の運動についても、回転の運動量、振動の運動量などの一般的な運動量を定義すればリュービルの定理は上手く成り立つことが分かっている。 なぜ一般的な運動量で上手くゆくのか、その秘密は Hamiltonの正準方程式にある。 (真の秘密は自然がそのようになっていた、と言うべきかもしれないが。) ニュートンの運動方程式と比べて Hamiltonの正準方程式の持つ利点の1つは、ある種の座標変換に対して不変であることだ。 つまり、座標変換を施しても式を全く変えずに計算を行うことができるのである。 例えば回転運動の場合、直交座標 <==> 極座標の変換を行っても式の形が全く変わらないのであれば、回転運動を並進運動と同等に扱えることになる。 運動量というものを並進運動だけでなく、もっと一般的なものとしてとらえ直すと、Hamiltonの正準方程式に現れるHの意味をもとらえ直す必要が生じる。 これが、式中でEと書かずにHと書いた理由である。 Hは「ハミルトニアン」と呼ばれている。 ハミルトニアンHが時間tに直接依存せず、位置xと運動量pだけで決まる場合(つまり H(x,p)と書ける場合)、Hは体系の全エネルギーEと一致する性質を持つ。 Hが時間tに依存する状況とは、体系の外から何らかの変動が加わるということだから、上で考えてきた位相空間ではH=Eとしてもよかったのである。

「位相空間上の体積は一定に保たれる」ことが確認できたところで、次の節へと進もう。

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