私は意識的に仏教徒になった覚えはない。 しかし、考えれば考えるほど、実は思想の根底に何か東洋的な、 仏教的なものが染みこんでいるのだと再認識されてくる。 大体この「不確定」という言葉からして、極めて日本的であると思う。 不確定分子モーターの考え方は、どうも「永遠、完全」を指向する西洋キリスト教より、 日本的、仏教的なものが馴染むように感じられてならない。 だからこそ日本(というより東洋)で生まれた。これは決して偶然ではないと思う。 「やわらかい機械」とか。 => でも注意せよ、オカルトじみた世界に走らないように! 因果律 リュービルの定理 情報量の保存 輪廻 系が状態を一巡した後、戻ってくる。 そもそも時間発展とは「直線」ではなく「円環」である 流転 結果を永続的に残すことはできない。 現在「在る姿」とは、全て「一時的な借り物」である。 熱の混沌から生じ、最後には熱の混沌に返る。 刹那と永劫 存在とは刹那である。 系の一巡は永劫である。 諸行無常 「エントロピー」こそ無情そのもの。 般若心経と「空」 最初の1bit、始源的な初期情報は、ただ存在するだけ。 それは善でも悪でもない。 「空」を「始源情報」に置き換えれば、そのまま成り立つ。。。 ... 話は全くそれるが、日本にとって仏教は「外来の理論」であり、本当の土着は神道であろう。 仏教は一見古そうに見えても、当時随一の理論であり、やはり理屈っぽく、西洋の1つ前の輸入品って気がするなあ。 ただ、我々の理論的なよりどころはやはり仏教の方であって、神道に求めるわけにはいかんだろう。 (神道は理屈っぽくはないと思うので。)というよりも神仏混合かな?