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2分で検討する批判
2008/03/31  
   批判1.
熱を入れて、熱を出しているだけなのでは。

系から出力するものは、シャノンの定理に示されるような信号である。
そこには高温から低温への熱の移動とは性質の異なった、一方向の流れが見出せるであろう。
系+熱浴全体にはケルビンの原理が適用できるので、 「熱を入れて、熱を出している」という言い方は、最終的な結果としては当たっている。

   批判2.
外部に仕事が取り出せないのであれば無意味ではないか。

一様な温度条件下に、渦のごとく一方向のエネルギー流があったとして、それは無意味だろうか。
系+熱浴という世界の内部に身を置く者にとっては、十分意味があると思うのだが。

   批判3.
理想的な極限でしか成り立たないのであれば、絵に描いた餅ではないか。

確かに、上の命題は準静的過程のような、理想的な極限においてしか成立しない。
しかし、ほんのわずかの外力を加えることによって、限りなく近い状況が現実できるだろう。
ここで、[与えた外力] ≠ [取り出される仕事] であることに注意 => 批判4.へ

理想的な極限であれば、ほとんど温度が等しい2つの物体間で熱量の移動ができる。
(熱量の移動に必要な温度差は、理論上はいくらでも小さな値に抑えることができる。)
上の命題もこれに似て、加える外力を、理論上はいくらでも小さな値に抑えることができるのである。

   批判4.
上の批判3.で、現実的には外力が必要であることがわかった。
ということは、与えた外力の分だけ仕事が為されるということではないのか。

通信許容量の最大値は何に依存するだろうか。
あるいは、準静的過程とはどのような過程だろうか。
仕事Wの大きさが依存しているのは、信号と共に運び出されるエントロピーSの大きさであって、 具体的な通信方法や、流れの速度には直接依存していない。

※依存関係が全く無いとも言い切れない。
加えた外力と、エネルギー流の速度にある種の関係が見出せるかもしれない。
しかし、その関係とは速度論的なものであって、上の命題を否定するものではない。

   批判5.
一方向のエネルギー流が強調されているようだが、 理屈の上では情報理論を持ち出さずともエネルギーの流れを作り出すことができる。

エネルギーの流れを作り出す方法:
* 2つの物体A,B間で、まずA→Bに熱量を移動し、その後B→Aに熱量を戻す、という操作を考える。
 熱量を移動するために必要な温度差に下限値は存在せず、いくらでも小さくすることができる。
 よって、熱交換の操作に必要な外力も、極限においては0である。

* 高温の物体を断熱壁で囲んだボールを用意して、A,B間でキャッチボールすれば、 そこに「一方向のエネルギー流」が生じているではないか。

これらは大して興味を引くことではない。

上の批判にある方法と、命題に示した方法の差異は、正に情報理論を持ち出すか否かにある。
命題に示す方法の要点は、エネルギーの流れが同時に情報の流れにもなっていること、 仕事が同時にエントロピーの運び手になっている点にある。
それゆえ、情報量を大きくすれば、それにともなってエネルギー流を大きくすることができる。
批判にある方法は、情報とは何の関係もない単なる移動であって、命題に示した方法とは別物である。

   批判6.
「熱エントロピー = 情報エントロピー仮説」が疑わしいと思うのだが。
両者を何の注意も払わずに、無条件に同列に扱ってもよいのだろうか。

確かに2つのエントロピーを無条件にイコールで結びつけるのは配慮に欠く。
物理的な条件は、上で示したよりもさらに厳しいものと私は考えている。
それでも、2つのエントロピーの同一視が全く根拠の無い、でたらめだというわけでもない。
両者をイコールで結びつけることは、基本的には正しい。
その上でさらに、配慮すべき幾つかの条件が加わるものと私は考えている。

   批判7.
「15分でわかるダイジェスト」や「理論編」の序章では、 「時間をずらす」ことや、「時刻不確定」といったことが強調されていた。
一方、ここでは「情報量」や「情報エントロピー」が強調されている。
両者は別の内容を主張していないか。

「出力信号の時間をずらす」という言い方と、「情報量」という言い方が異なるだけで、 両者は本質的に同じ内容を指している。

   批判8.
存在証明にはなっていないのでは。

その通り。
必ずや存在しなければならない、という証明ではない。
あっても不思議はない、という予想である。

   批判9.
でも絶対におかしい。
こんなものは、物理法則に反するではないか。

いや、たとえ上で提唱するような「一方向のエネルギーの流れ」が存在したとしても、 既存の熱力学、情報理論などに一切修正の必要は無い。
それこそ正に、ここで言わんとするところのものである。

   批判10.
つまるところ、この命題は何ら目新しい新事実を含んではいない。
上に挙がっている式も全て教科書にあるような当たり前のものばかりだし、 特別難しい導出があるわけでもない。
要するにこの命題は、取り立てるほどのこともない、当然の事実なのではないか。

私もそう思っている。
ここには奇抜で難しいことは何も書かれていない。
ほとんど全てが「当たり前」なのである。
唯一「Maxwellの悪魔は実在する」という過激なタイトル表現を除いては。

結論が「取り立てるほどのこともない」かどうかは、受け手の興味次第であろう。
等温条件下に一方向のエネルギー流が存在し得るという現象は、 かなり興味深いことだと私は思うのだが、いかがであろうか。

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